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サーン・サーンスの第二協奏曲ト短調。しかしヴィルトーゾ性ではすでにモーツァルトをベートーヴェンにかけてすでに十分の開発された技法の繰り返しに過ぎないので、何か新しいものを求めるには物足りなく感じる。べートーヴェンが良く使ったオクターヴやモティーフもちゃんと健在であり絶えず更新を求める耳には不満である。
木管楽器の多様はこの時代のフランス音楽にとても多く典型的で目立たない伴奏形である。トリルも昔から頻繁にあり何も変わっていないどころか音の構成自体はむしろ退化している。高音から低音にかけてに展開方法や木管とも掛け合いもモーツァルト時代から頻繁にありここでも伝統として残っていてこれを低密度で最後まで続く。カデンツァがまだ出てきて再現部が始まるように見えるがそのままコーダに入り突如終わる。11分12秒。
2楽章のスケルツォ で速いが短音が主なので演奏は意外と簡単なはずである。強弱の変化も極端ではなく全て無難に過ぎてなんの問題も起こらない。だからベルリオーズ以降メシアンとブーレーズが出てくるまでフランス音楽はほとんど何も起こらなかった。5分30秒。
フィナーレの速攻も同じで古典的思考を十分に活用してテクニック的に難しいとは思わない。薄めたモーツァルトやベートーヴェンそのものである。ほどなくして再現部6分36秒。
ヴァンサン・ダンディのフランスの山人の歌による交響曲は第一交響曲であるがピアノがオーケストラの中に入っているが協奏曲ではない。ピアニストだけは交換して弾いているが、多くは木管楽器とも交差のみオーソドックスにひたすら進行する。ドイツは交響曲にピアノはいれるものではないがフランスやロシアの作曲家はそれを入れてしまう。当然山人となるとリヒャルト・シュトラウスの壮大なアルプスを想定してしまうがここにはほとんどそれがなくいわばアルプス地方の田舎の農民の生活になってしまう。11分23秒。
2楽章ものように田舎のノクターン的な曲の運びで山は感じない。絶えず木管とソロ・ピアノのデリケートなダイアローグ。最後までそれだけで大きな変化は感じない。6分36秒。
終楽章になるとやっと民謡が聴こえてくる。山岳的ではあるがリストの山の上で聴くもののように何らかの啓示は出ない。トランペットは4本なので2本はベリルオーズから来るコルネットであろうがおとなしい。フィナーレはやりリヒャルト・シュトラウスのイタリアからの強烈なフニクラフニクラを思い起こしてしまう。最後に何時ものようにクライマックスが来るがいくらffをかけても強烈には聴こえない。7分56秒。
アンコールはこの2人目のピアニストが協奏曲的に活躍ができなかったせいかドビッシーのアラベスクを弾いて最初のピアニストに埋め合わせて対抗した。東フィルはオペラや現代音楽で赤字でも頑張って来たので凄くキャリアがあるので実力的には申し分なく発揮されていた。
作曲家 指揮者 ピアノ 現代音楽 オペラ∩声楽曲