yocさん
月別ブログ(日記)一覧
1件のコメント
1
このブログ(日記)へのコメント
今日はナンバー・ピースですね。僕は晩年の108の初演や103の映画などに付き合いました。Cageの音楽はただ聴くとまずはわからないです。Freeman・Etudeもダルムシュタットで最後まで付き合いましたね。数十人いた聴衆は最後は数人でした。偶然性言えども当時は最後まで聴くのはきつかったです。そのあとCageの最後の来ダルムシュタットでコンサートを開きましたが、みんなわからなくて冗談だと思ってそわそわしてました。ただ一人だけ真面目に聞いてうっとりして楽しんでいる人がいました。Cage自身でした。108は5管編成のチェロ協奏曲ですが、指揮者がいると合うので指揮者を抜いて初演しました。演奏するたびに違った音が出てくるのだそうです。彼のインダビューではそのほうがずっと面白いと言ってました。当時の貴重な体験でした。
2007年02月07日 02時24分29秒

1件のコメント
1
トラックバック
このブログのトラックバック Ping-URL :
http://www.c-music.jp/tbblog.php?id=2763

Museカテゴリー
フリーワード検索
ベートー
ヴェンま
いり
オペラでお馴染みリヒャルト・・・・(星のジュウザさん)

ストリー
トピアノ
屋外に置かれるストリートピア・・・(星のジュウザさん)

K-459,
コンポー
ジアム・・
・
K-459, コンポージアム・・・(Shigeru Kan-noさん)

Ito_orc
さん
ピアノ20年ほど習ってました・・・

ミルキー
さん
自分では楽器は演奏でません。・・・

ユウさん
はじめましてユウです。ピアノ・・・

シャルル
さんのお
墓参り
令和5年2月20日にシャル・・・(歌の翼さん)

コミュ足
跡帳
コミュの参加者の方だけでなく・・・(歌の翼さん)

Vox-Lux
結成コン
サート・・
・
このコンサートのメインテーマ・・・(hiroさん)

ジョン・ケージは1912年にロサンゼルスで生まれた。父親は発明家で「だれかが『できない』と言ったなら、それはお前に何をすべきかを教えてくれているのだ」と言ったらしい。若いころは音楽家になろうと考えたことはなく、父の祖父はバイオリンを「悪魔の道具」と見なすような人だったという。そのような家族環境という点においても、ジョン・ケージは特異な作曲家であるといえる。
この「Thirteen」は、ジョン・ケージ晩年の作品である。ジョン・ケージは1992年に没するが、1987年頃から「One」「Two」など数字をつけた曲を作曲し始める。そしてこの「Thirteen」は、亡くなる1992年に作曲された作品である。ジョン・ケージがいかなる音楽の極みに到達したのか、という点でも極めて興味深い作品である。
さて、この「Thirteen」だが、話題にことかかないジョン・ケージの作品としては、意外に落ち着いた作品である。全体に起伏に乏しく、平坦な印象である。使われているのはフルート、オーボエ、クラリネット、バスーン、トランペット、トロンボーン、チューバ、2台のパーカッション、2台のバイオリン、ヴィオラ、チェロ、といった13の楽器であるが、気持ちいいほど、演奏がバラバラである。全く統一感がない。各楽器はそれぞれに好き勝手な音をきまぐれに出している。そして一体、指揮者は何をしているのだろう。13の演奏者に、何らかの指示を出しているとはとうてい思えない。
ある意味において、この曲は、ジョン・ケージの発明のひとつなのかもしれない。全く統制がとれていないように思われる楽器の演奏。その統制がとれていない、という一点で統制されており、バラバラである、ということが、ひとつの全体を形作っている。そんなふうに考えながらも、もしかしたら全く意味づけなどないのかもしれない、という疑念も湧いてくる。
晩年のジョン・ケージは笑顔を絶やさなかったそうだ。この「ケージ・スマイル」を、一柳彗は「啓示微笑」と訳したそうだ。このCDのジャケット裏には、満面の笑みをたたえたジョン・ケージの顔がある。音楽を愛し、音楽に挑み、音楽の喜びを味わい尽くした顔である。もしかしたらこの曲も、ジョン・ケージの悪戯のひとつであり、あの世で舌を出しているかも知れない。そんなことを思いながら、この曲を聴くのは、それは、また、味わい深いものだ。
俺は、ジョン・ケージが大好きだ。(20070207/yoc/カルト・ミュージック・コレクション)
現代音楽