yocさん
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このCDは多分持っていますね。知り合いの作曲のフランス人のフランソアが「ヴァーレーズはただの悪魔であり悪魔の音楽だ」とふざけていましたね。有名なのは「アルカナ」と「アメリック」。この巨大な5管編成の音楽は一般クラシック界では注目されない。「デザート」と「アメリック」はジェルメッティがシュトットガルトの定期に良くやりました。この時代でも野次や笑いが聞こえてきましたね。聴衆が違うといまでもこんなものです。後半は「春祭」でした。みんなお行儀が良かったです。
2007年04月20日 06時05分49秒

Kan-no さん、ご無沙汰です。何か書くのは来週にします。眠いので。
というより、今回は書きかけたのですが挫折しました。(爆)●〜*
話変わって、ヴァレーズも位置付けが難しい作曲家だと思うんですよ。なんか浮いてるんですね。僕も、CDかLP持ってんだけど、インテグラルとか歴史的な曲ですが、正直、名のみ高くて印象が薄い。
yocさんの怪説でなんとなく分かりました。彼、表現はともかく、いいとこ突いてると思いましたよ。私はど素人ですけど。
ただ、音色とか音響については1910年代(もしかすると1900年代)から改革されてましたよね。イタリア未来派のルッソロが著名ですけど。
ルッソロの音響装置は確か90年代か80年代に再現されたとの記事を見た記憶があります(未確認)。騒音であれば何でもいいような気がしますけどね。(^^;
それはともかく、1910〜20年代には、第一次音色改革、音響改革があったように思うのです。
yocさんに触発されたので、日本のゴールデン・ウィークに調べようと思うのですが、米国の、例えばアイヴズなんかがいろんな日常的な(外界の)音を入れてたのは1910〜20年代ではなかったですかね?
ともかく、ヴァレーズの独創はあるにせよ、時代的には楽音の拡大が20世紀初頭、それも第一次世界大戦に前後して爆発的に起こったというのが私の認識です。1905年から1920年ぐらいの間。
広い意味では、ストラビンスキーとかも入ると思います。それに後期ロマン派もまだ生きていたでしょう(推測)。あの崩れ落ちそうな程巨大な音塊は楽音の拡大とは言えないのか?
そそ、ラグタイムとかジャズの影響も出てきたのがその頃ではありませんでしたっけ?微分音もそのころではないかなぁ?アロイス・ハーバでけど。まぁこれらは定義によりますけど。
チト今酔っぱらってるのでい〜かげんですけど、20世紀初頭のグチャグチャな流れからすると、エドガー・ヴァレーズが孤立した独創であったとは考えられません。
そこがちょっと、yocさん説への疑問です。
でもyocさんが、カルトというかマニアックな膨大な知識を持っているのは確かです。これからも我々を刺激するディスクールを流して下さい。ちゃんと聞く耳は持ってますので。
ではでは。(^^)/~
2007年04月23日 04時22分53秒

どうぞ急いでないのでゆっくりやってください。酔っ払っていて間違ってたら直しますので大丈夫です。
Vareseは位置付けが難しいとのこと。しかりです。だれだれの弟子とか何々学派とかないですからね。そう言う関連性で入っていけないので始めての人はとてもとっつきにくいです。
Ivesもそうですね。でも同じ現象が形を変えてヨーロッパにも起こっていましたね。一種の衝動でしょうね。まあクラシック音楽がおかしくなったのは後期ロマン派以後印象派などによる近代音楽によって調性が薄められてもっとラジカルな無調や微分音の準備が出来たのですね。この時期はほぼ第一大戦や第二次大戦にかかっています。相対論が量子学の時代ですね。同じように音楽や美術にも変化が起こったのは偶然じゃないです。音楽の定義が人縄では行かない時代になってきました。
2007年04月23日 04時38分55秒

おお、Kan-no さん、付けてくれましたね。
現音バリバリの著名な作曲家が直してくれるとは光栄です。安心して間違えられます。(^^)v
※実は、『著名』はどうでも良くて、エネルギッシュで、とんでもなく面白く、良い曲、問題曲(失敗しててもOK)を書いてる方が大事です。話も面白い。
前回、コメント切り上げたけど、Kan-no さんの発言には、反応したいことがいっぱいあったのです。
来週から日本はゴールデンウィークに入るので、十分時間が取れます。その時に発言します。
Kan-no さんの曲も逐次聴いてコメントするつもりです。ちょっと聴きましたけどね。
独善・独断ですけど、建築で言う(ここが大事)、ポストモダーンのような気がしました。
つまり、様々な技法(もしくはシステムや音響)を使って、奇妙な構造の新しい構築物を作っている印象です。
音楽では構造計算は不要なので、結構違うと思うのですが、調性感があったり不思議な旋律を作ったりしてますね。
なんといっても曲数の膨大さにはあきれましたが(笑)。
それに嫌味のない毒舌は貴重です。国内の言説は嫌味があるのでペケです。
ではまた来週。(^^)/~
2007年04月23日 05時07分33秒

僕も間違う事はありますよ。気をつけてください。特に商売でなくて書いてるのは余り見直しません。
「建築で言う(ここが大事)、ポストモダーン」というのはVareseのことですか?どうでしょうね?彼は数学者だったのは確かですが、それを自己の音楽に応用したかどうかは未だに定かではないのですよ。もちろんXenakisのようにそう言う曲は当然あります。あのレヴェルになると調性も無調も最初から考えていないのですよ。
2007年04月23日 06時42分02秒

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エドガー・ヴァーレーズには「作曲家」という言葉より「作音家」という言葉がふさわしい。まるでおもちゃ箱をひっくり返したような音楽だ。目の前にある気に入ったおもちゃを手当たり次第に手にとって遊び、放り投げる。まさに、これこそ現代音楽の名がふさわしい。音楽の3つの基本要素は、リズム・メロディー・ハーモニーだと子供の頃に習った気がするが、ヴァーレーズの音楽はリズムもメロディーもハーモニーも真っ当ではない。リズムは蹴躓きつんのめり、メロディーはぶった切られ、ハーモニーは不協和音しかない。
想像力をかき立てるタイトルで有名な「Integrales(積分)」では、聴き慣れたフレーズらしきものが現れて気を許すとたちまち足元をすくわれてひっくり返されたりするのだが、まだ余裕を持ってヴァーレーズの音の遊びにつきあうことができる。やはりヴァーレーズらしさを最もよく味わうことができるのは「アルカナ」であろう。18分36秒の音の洪水に身をまかせると、音楽というものの価値感すら変わってくる。
Desertes(砂漠)は、14の管楽器とピアノ、5つのパーカッション、そして2トラックのテープのために書かれた音楽だ。リアルに演奏される楽器の音にまじって録音されたテープ音が重なってくるが、飛行機のプロペラ音や機械のモーター音、機関銃を連想させる音があるなど、やや時代的には古い印象を受けることは否めない。もし今日作曲されるとするならば、プロペラやモーターをコンサート会場に持ち込んだり、演奏者に機関銃を持たせて撃ちまくるように書かれるはずだ。
それにしても「積分」は1924年から1925年に、アルカナは1925年から1927年にかけて作曲された、つまり今から80年も前に作曲されたということに驚く。80年前の聴衆は、これらの音楽を、どう、受け止めたのだろう。それにしても現代でさえ、もしヴァーレーズの音楽を今までに聴いたことがないのならば、これらの音楽を楽しむことができる域に達するには、幾度も聴き込まなければならないだろう。ヴァーレーズの音楽は、そうやすやすと喜びを与えてはくれない。
録音は2000年の4月と5月。カトヴィツェ、グジェゴシュ・フィテルベルク・コンサートホールで演奏されたもの。演奏はポーランド国立放送交響楽団。指揮はクリストファー・リンドン・ギー。2001年にNAXOSより発売されたEC盤だ。(20070111/yoc/カルト・ミュージック・コレクション)
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