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普遍性と地域性

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 今回、コダーイの無伴奏チェロソナタを演奏したわけだが、自分なりの解釈で弾いてみるとシュタルケルの解釈とずいぶん違う。彼の演奏はもちろん素晴らしいし、彼の演奏によって私はこの曲を好きになったのだが、どうしてこの部分のリズムをこのように弾くのか、とか、どうしてここでギャップを取るのか、などに必然性を感じないことがある。
 シュタルケルはコダーイと同じくハンガリー出身だ。ハンガリー語のリズムとか、イントネーション、あるいはハンガリーの土俗的な旋律が土台にあって、あのような演奏となるのだろう。
 だからといって、私はシュタルケルの演奏をなぞったりはしない。参考にはするけれど、楽譜を読んで自分がこうだ、と思うように弾くしかない。必然が感じられないままなぞっても音楽に生命が宿るとは思えない。しかし、私の演奏をハンガリー人が聴いたら「それは違う」と言うのだろう。

 こういうことはよくある。日本人が弾くヴィーナワルツはヴィーンの人には不自然だとか、アメリカ人が弾くマズルカはポーランド人にはお笑いぐさだとか言われる。これは、東北地方ネイティブでない人間の歌う南部牛追い歌を岩手県民がののしり、親代々北海道で暮らしていない人はソーラン節を歌ってはならないと主張しするのと同じ、偏狭な地域主義だと思っている。そして、こういう民族的、土俗的な背景が強い音楽には、この地域主義は必ずついてくるだろう。

 我が愛する、バッハ、ハイドン、モーツァルト、ベートーヴェンは皆ドイツ語圏の作曲家だからドイツ語をベースにしているという背景がある。また、みな、様々な民族の舞曲などをその作品に取り入れている。しかし、それをかなり消化し、自分のものにねじまげて使っていると思う。彼らは地域主義から脱して、全人類が共有できる、普遍的な音楽を目指したように思う。

 だから、ドイツ語の知識はあった方がよいとは思うが、日本人であっても彼らの普遍的な音楽は解釈できるし、自分のものとして演奏できるし、心から共感できるのだと感じている。

 チェロ ピアノ


日付:2008年04月09日


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