Ayoan Igokahさんのブログ(日記)〜クラシック音楽の総合コミュニティサイト Muse〜

Museでクラシック音楽を通じて素敵な出会いを

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初めまして

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ヤマハのプレイヤーズ王国を放浪していたら、作曲家指揮者・ピアニストとして活動をしておいでの方の作品に出会いました。そしてこのクラシック音楽のコミュニティをご紹介頂きました。プレイヤーズ王国ではそのユーザーの多くが圧倒的にJポップ愛好者です。そのため、私はかなり欲求不満に陥ります。現代音楽と言う分野でも、正しい認識をしている人が殆どいません。本来の現代音楽を登録している方に出会うとほっとします。
恐らく、こちらのコミュニティーでは、逆にバリバリの専門家たちが住んでいて、圧倒されるのではないかと戦々恐々、そして期待もしています。

 作曲家


日付:2007年06月10日

25件のコメント

  1

このブログ(日記)へのコメント

とっち〜(Totti+81)

初めまして。4月から Muse 会員のとっち〜です。
全て独学というのは良いですね。私もそこは同じですが、ど素人のまんまです。(^^;
ここは専門家や準専門家、ハイアマチュアが多いように感じます。でも私のように音楽界、音楽業界、アマチュア音楽界(?)の全てと無縁な純正素人メンバーもいます。
お好みのアクティブな方では、Shigeru Kan-no さんという超専門家の方がおみえです。中々ハードなブログを書いてますよ。もしかして紹介された人物ではないでしょうね? 肩書きが全部当てはまるので。でも、Kan-no さんがJポップを聴くとは思えないのですが...
Muse は会員が少ないせいもあって結構お気楽な面が多いので、肩の力を抜いた方が良いかもしれません。マニアックだったりマイナーな話題も結構出てますよ。

2007年06月10日 17時43分04秒

Shigeru Kan-no

良くいらっしゃいました。僕はここはいろいろな機能があるので気に入っています。僕も昔は独学で作曲勉強したので共感するところがあるのです。僕はプロやアマチュアは余り区別していません。ムソルグスキーやボロデインはアマチュアだったしね、日本でもいくらプロでも残らない作品は5万とありますし、区別してもしょうがないと思います。でも僕は質を落とさないのでハードになるかもしれません。わからないとこは面倒でもその都度聞いてください。

今、ラジオで流れているのはベリオ=シューベルトの「レンダリング」です。編曲よりも再作曲なのですが、良く演奏されますね。

2007年06月10日 18時20分15秒

Ayoan Igokah

 とっち〜様 書き込み有難うございます。とっち〜さんのブログを拝見しました。Kan-noさんとのやりとりも。こちらのアドレスをご紹介くださったのはKan-noさんです。今後、大いに参考にさせて頂きます。宜しくお願いします。
 実は、現代音楽は私には余りなじめない音楽です。しかし、音楽、芸術の将来にとって、常に最新の傾向は知っておく必要があります。人間が人間であるためには進歩し続けなければならない、歩みをやめた時終わりだ、と言う考えも一部理解できます。マウリツィオ・ポリーニの観点も同様で、革新、世の中をいかに変えたか、それが最も重要であると考えていると思われます。そういう点で、新しいものを追求し続けておいでのように見えるKan-noさんととっち〜さんとのやりとりはとても刺激的です。
 お二人とも理系で、論理的に物事を捉える方々ですね。Kan-noさんは頭で作曲すると言うことを仰っていますが、そのやり方は私とは対極にあります。
私は文系の人間ですが、考え方は論理的なものが好きです。それでいて、理論先行は好みません。芸術とは人間の存在の根底から出てくるもの、つまり魂かた湧き出てこなければならないと考えているからです。私が26歳の時に付合った女性の詩人が「魂で書いたものは魂で読んで欲しいの。」と言いました。その後、彼女は服毒自殺してしまいました。彼女は現代詩に興味・関心をもちつつも、一歩離れて見ていたように思います。当時私は現代詩にも興味を持っていましたが、なぜ、自分にその表現が分からないかが分かりませんでした。あまりに象徴的、抽象的であると、本質を見損なうこともあると思います。
 裸の王様はペテン師に騙されて、自分は服を着ていると思って平然と街中を行進します。これと同じようなことがありました。短編小説に書きたいと思っていますが。これは5年も前のことです。現代舞踏の好きな博士課程の大学院生が、ある女性舞踊家たちと一緒に舞台上でパフォーマンスをすることになりました。その発表会の題名が『海洋を行くオベリスク』(実際の名前ではありません。適当に変えています。)でご丁寧にそのフランス語訳もつけてありました。ポスターには準備も宜しくアンドレ・ブルトンの『溶ける魚』のフランス語の抜粋を書いています。この題名はこのパフォーマンス集団が喫茶店で作戦会議をしている際に、万策に窮して、いい加減につけたものだったのです。しかし、件の博士課程の大学院生の知人たちは、このパフォーマンスを見て、その題名との関連を滔々と弁じ理論付けたのでありました。そして出演していた方もなんだか大それた芸術活動に参加したような気分になり始めたのであります。呵呵。
 私は本物を見極めるにはどうしたらいいかと考えた時、魂で感じる以外に方法はないのだろうと思い至りました。そして蓼食う虫も好き好きで、自分が好きなものを好きだと断言できる価値観を持ちたいと思っています。ちなみに、私の伯父は抽象絵画を描いております。学生時代にはそのよさが分からず、何を賞美してよいのか分からず、当惑していました。
 武満徹賞の応募作品アンドレア・ポルテラ『キューブ』聴きましたが、現代音楽とは言うものの随分聴き易い音楽ですね。植田彰”Never stand behind me”これは30年位前に流行った現代音楽のようです。却って懐かしさがある位です。こういう書き方も、一つの「古典的前衛音楽」書法になっているのでしょう。猫の声を出すおもちゃが使われているのでしょうが、これは私にとってポイントが高いです。声が可愛らしい、と言うただそれだけの理由で。「音楽」と言うより、「音」と言うべきものかもしれません、この曲は。考えさせるために書いた曲。理論が先行しすぎたのではないかと、疑われます。
 だらだらと書いてしまいましたが、このような情報入手の場があったことへの喜び表現ですので、ご容赦下さい。

2007年06月10日 18時51分05秒

とっち〜(Totti+81)

Muse への紹介者は Kan-no さんでしたか。Muse で当てはまる人物像が少ないので可能性はあると思ってましたが。。。さっそくコメがつけられてますね(笑)。
それにしても、私の長文ブログを短時間で読んじゃったんですか。Kan-no さんとの超長文のやりとりまで。(^^;;
エネルギッシュですね。いや、もちろん嬉しいんですよ。しかしパワフルです。しかも、長文の返答コメントまで。。
ブログネタの引出しはいっぱい持っておられるとお見受けしました。

Ayoan Igokah さんの自己紹介に「魂で仕事をしている」とあったのに注目しました。21世紀において『魂』の在処、在り様はいかなるものなのか、と考えることがあるので。
60年代の現代詩人の作品の中に、大勢の聴衆の中の一人が突然、「諸君、魂の話をしましょう!」と叫び始めて周囲に取り押さえられる情景を描いたものがありました。読んだのは70年代ですが、重く精神を打ち、考えさせられました。
舞踊パフォーマンスに対する院生のような反応は、70年代にも多かったと思います。そして「ソーカル事件」が示している知的なシステムとでも言うのか、それと似ているように思いました。

ソーカル事件:Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BD%E3%83%BC%E3...
ソーカル事件と『知的詐欺』以後の論争
http://www.math.tohoku.ac.jp/~kuroki/Sokal/index-j...
きみはソーカル事件を知っているか?
http://www.gakushuin.ac.jp/~881791/fn/Hori.html

こういう話はあまりしたくないんですけど、いわゆる「ニューアカ」以前の60年代後半〜70年代に、構造主義やポスト構造主義(?)と呼ばれるフランス思想家たちは随分紹介されていて、当時の「進んだ」学生は理科系でも読んでました。確かにポスト70年の精神的な流れの中で、急速に受け入れられる素地は十分にあったと思います。

私なんかは80年代半ば以降は長いブランクに入るので、ソーカル事件など全く知らなかったのですが、数年前から芸術も含めて、また新しい動向と接していこうとし始めていて、穴埋め作業も兼ねて90年代の動向を全般的に調べ始めた頃にぶちあたったのです。
ある意味ショックでもあり爽快でもあったのですが、これに対して文系の知性派(?)たちが大変な過剰反応を示したようで、そちらに驚きました。別に、根本的に否定したり貶めたりしているわけではないのに、とんでもなく感情的なリアクションをした(今も示している)ようなのです。理解できない反応です。これでは進歩もクソもない。

ま、理科系でもこんなのがあるようでして...(^^;;

ランダム生成された情報学論文が国際会議に受理される
http://slashdot.jp/articles/05/04/19/0941201.shtml...

では、コメントが長くなりすぎても効率が悪いので、ブログの方に時間を割いて下さい。

ところで「Ayoan Igokah」さんとは、何とお読みすれば良いんでしょうか?

2007年06月10日 21時56分20秒

Shigeru Kan-no

「魂で聴く音楽」というのは僕にとってはクラシカルに聞こえます。クラシック音楽の3要素:メロデイー、リズム・和声の3要素が今では古典的な考え方ですね。現代音楽はもうどこでも科学的・物理的にパラメーターとして音を捉えて考えます。すなわち音高・音長・音色・音響・音方の5つです。まあ物質の構成要素の原子とか更に溯ってクオークの様な物です。これらが複雑に組み合わさって音楽ができています。僕の友達がやっているアナリーゼのブログの音のゲノムとして分析してますが、彼らはまだ生物学的な段階と思われ、僕は更に詳しく細かい音を捉えているという自負があります。http://blog.livedoor.jp/stravigory/
更に「魂の音楽」そのものへのコメントですが、聖書の引用から「人間は肉体・魂・霊魂からできている」を尊重してそれより一段上の「霊の音楽」を目指してみたいと思います。どうするかまだわかりませんが!(笑)

2007年06月10日 22時15分02秒

Ayoan Igokah

早速、ご連絡有難うございます。ソーカル事件、とても面白く読ませて頂きました。ラカン、デリダ、クリステヴァ、ドゥールーズなど錚々たるフランス哲学者たちですら批判の対象になったとは、なんとも痛快な事件があったのですね。人間の想像を超えた「事件」が、世の中を切り開く突破口になるのではないでしょうか?
また、紹介されていたMITの学生の論文作成ソフトも愉快です。が、これは作り話ではないでしょうか?十分にありえるとは思いますが。
Ayoan Igokahはアヨアン・イゴカーと呼んで下さい。虐げられしネイティブ・アメリカンの名前のようで、気に入っています。
 ところで、植田彰氏らの曲はとっち〜さんの記事を読んで、早速今日6月10日のNHK FMで聴いたのです。オペラシティーに行ったわけではありません。つまり、それほど熱心な現代音楽ファンではありません。

2007年06月10日 22時34分56秒

とっち〜(Totti+81)

論文作成ソフトは2ch風に言う『ネタ』かもしれませんね。(^◇^)あはは
でもここんとこ、理系の研究者は笑えないんですよ、ご存知の『捏造』論文事件が次々と発生したので。まだくすぶってるのがありますけど。(^^;

研究が高度化しすぎたというか、細分化されすぎというか、装置も高価で精密だし、試料とその扱い自体が高度化しているし、第3者が実験の再現性をとる能力さえなかったりする。広範でもあるし。
どうやらレフェリーの審査能力が追いつかないらしいのです。だから名だたる Nature や Scientific American でも誤摩化されてデータ捏造論文を載せたりするようです。もう少人数では広範な領域をカバーしきれないのでしょう。論文数も幾何級数的に増加しているし、個人の能力を超え始めているのでしょうね。

手近な記事
http://www.nikkei-bookdirect.com/science/page/maga...
史上空前の論文捏造
http://www.solaha.net/2006/02/post_20.html

ただ、捏造が正しいとされてしまうと、他の研究者がピタっと研究を止めてしまうので、進歩の遅れどころではない損失になってしまいます。続いてたものが切れるとダメなんですよ。ひどい時は再開できなかったりする。
倫理問題より退歩になることでの後代への実害の方が大きかったりするので、その罪は大きいですね。

ちなみに、旧国立研究所や大学の研究者で、あの人のデータは怪しいという話はちらほらあるようです。2ch にも転がってるようですが。私もあるところで耳にしたことがあります。真偽不明だけど、そういう研究者には外部の者は近づかないですね。マスコミは別ですよ。

ところで、私の記事を読むのが間に合って良かったですね。1時間差ぐらいでしょ?

2007年06月10日 23時38分08秒

Shigeru Kan-no

論文の捏造ですが、一旦ネットのHPページに発表してWikipediaやGoogleのように著作権違反かどうか捏造かどうかすぐ分けるシステムにするとこの問題はすぐ解決するような気がします。もう学会などで始めて紹介・発見するような時代ではないと思われますが。

2007年06月11日 00時34分33秒

マ・ノントロッポ

うーん!私の頭ではついていけないハイ・レベルです。やはり文系の頭しかないのかしら。

男性はやはり女性的な頭・・・感情論で論理を考えるのではない・・というのがよくわかりました。
 
久しぶりに、ついていけない話題に溢れています。こんなんで、私は人生送っていけるのかしら>>
 
普段、男性の中にいることが多いのですが、ちょっと押されてしまいます。

もっと緻密に人生を送り、勉強をし、論理緻密にする能力をつけるべきでした。もう遅いと思いますが。

2007年06月12日 01時09分50秒

Shigeru Kan-no

女性でもここは大歓迎だとおもいます。でもレヴェルは落としませんよ。(笑)わかるまでがんばってください。男と女の脳は確かに違うそうですが、劣る劣らないじゃなくて違うだけです。女性は男ができないことや考え付かないことができるのです。だからそのままでいいのでしょう。自分の利点だけ生かしてやっていけば未来は開けるでしょう。

一番最初のスレに作曲の独学について肯定的に書きました。今日は否定的に書いていいですか?知られているところで独学で著名になった一番若い人はM・カーゲル止まりではないでしょうか?現代の作曲技法は余りにも高度化しているのでもはや独学では追いつかないかもしれません。更に日本の現代音楽の教育が遅れていることも考え合わせるべきでしょう。昔は良く十二音技法も実習しないでよくも散々批判した物ですが、今はもう通用しないでしょう。和声学や対位法もやらないでそれは良くないと批判するような物です。技法そのものは作曲行為としては歯が立ちませんが、今は物事を知る・経験するということがどんどん重要な時代になっていきます。同様に電子音楽・雑音・偶然性なども深い理解を求められることが要求されます。そういうのはまだまだ日本の音大では不十分だとおもいます。特に管弦楽の実習など現在では独学でどこまで行けるのかは疑問です。かと言って音大に行きさえすればいい物でもないですが。

2007年06月12日 06時27分47秒

マ・ノントロッポ

私も、女性の感性は男性にない素晴らしいものがあると??と時々思います。
為替のディーラーをしていたので、(昔ですが)男性の判断力と女性の判断力が異なるな・・と思う場面にかなり遭遇してきたので、前の書き込みの様に思ったのです。
 
大きな観点からの判断は、男性のほうが得意だと思います。これは私の勝手な解釈ですが。

現代音楽は、私にとっては、知りうる機会があまりなかったので(勿論武満とかジョン・ケージーとかは聞きますが)勉強しなくてはいけない新しい分野です。

音大に行った方々でも、その専門だけではなく、広くご自分で学ばなければならない時代に入っていると思います。

2007年06月12日 09時59分25秒

Shigeru Kan-no

男性は遠視型・女性は近視型といわれています。どちらも良いとこ・悪いとこがあります。用は自分の長所を生かして足りないとこは助けてもらいしかないです。細かいところは女性にはかなわないですね。男は大きな物しか見えないのですよ。脳だったら女性は語学・男は数学などの論理学でしょうか?もちろん例外の人も多数います。それはそれで良いとおもいます。

ケージの音楽は入ってきた音をそのまま抵抗しないで受け止めないと決して楽しめない音楽です。今までも音楽の概念とは全く違うのです。あたかも人世に出会う運命のような物です。必ず肯定的に受け入れないとダメです。運命に打ち勝つBeethovenの5番とは全く違う音楽です。

2007年06月12日 16時55分33秒

Ayoan Igokah

 独学かどうかについての私見。結論を言うと、そんなことはどうでもよいことだと思っています。
私の芸術家の定義は、単純です。創造活動をせずにいられないかどうか、ただそれだけです。創造せずにいられない人々を芸術家と呼びます。創造活動を人生の最優先に置かずには生きていられない人々を芸術家と呼びます。創造をやめた時、自分としての存在意義を見出せない人々を芸術家と呼びます。
 もう20年も前のことですが、大きな衝撃を受けたことがあります。それは知的障害を持った子供達の粘土細工の展覧会でした。円柱のような、或いは尖塔のようなものがずらりと展示台の上に並べてありました。そのどれにもまるでとり付かれたかのように、同じ人間の顔のように見える形状のものが模様として、柄として作品の全面に彫られているました。縄文土器のような、近代的価値観に挑戦するような作品です。そして、子供達も縄文人たちも芸術作品を作ろうとして作った訳ではありません。ただ、只管捏ね上げただけなのです。私はその子供たちの作った作品をみて、どうしてこのような造形を生みうるのか、自分の頭では絶対に発想し得ない、と感じました。ピカソやパウル・クレーが行き詰った時に、アフリカ大陸などの原始美術を見て衝撃を受けたのと同じです。発想の違い。これは追体験によって、理解はしうるものなのですが、自分から内発的に発想しうるものではありません。
 敢えて言うまでもないことですが、芸術とは個性です。作品として個性のないものは、所詮、生き残ることはないでしょう。そして、個性は人生そのもの、生き方によって作られるものであり、必ずしも学校で教わることによっては形成されないのではないか、と考えています。無知であることより、知っていることは間違いなく有利ではありますが。誇り高きゼウスの娘達ミューズたちは、その時がくれば、黙っていても、助けてくれると私は信じます。ミューズたちは芸術家の後ろに立って、手を差し伸べてくれるものだと思います。(これは勿論比喩です。)
 私の友人に精神を病んだ詩人がいます。彼を詩人と呼ばない人、詩人と看做さない人がいると思います。しかし、私は彼を詩人と呼びます。なんとなれば彼の生き方が、詩的だからです。彼の存在が詩的だからです。詩人が詩人であるための絶対必要条件は、詩的生活、詩的思考をすることです。彼は決して多くの詩を書く人間ではありません。むしろ、寡作と言ってもいいかもしれません。書けない時には、数年間一行も書けないと言っていました。彼は、果たして、まだ生きているのでしょうか?知りません。彼は詩を書くことによって自分自身の存在を信ずることができ、生きている意味を感じることができるのです。

2007年06月13日 01時03分09秒

Shigeru Kan-no

上に書いてあることは正しいでしょう。これに付け加えるとやっぱりこの時代には最小限の知識は必要だということです。例えば「タタタターン」を展開してはいけないといことです。4分の一音を書いてこれは自分の発明といわれても困るということです。特に学校で習わなくともいいのですが、今日の教育研究は一般に人が思っているよりもずっと進歩しています。例えば管弦楽で音を出せなくて管弦楽法が学べるかです。オケ無しで指揮者に鳴子とは畳の上の水泳と同じです。本で理論は学べますがやはり自分で指揮して苦労してパート譜を書いてオルガナイズして音を出して肉体で学んだ経験とは雲泥の差があります。そう言うカリキュラムを音大は偏りなく組んでいるはずです。スコアリーデイングや無調の聴音・聴音アナリーゼ・特殊奏法なども独学では全く学べない授業の一つです。それらを実際使おうと使わないとに関わらず、孤独な人はそれを今日どう克服するかが問題です。

2007年06月13日 06時32分47秒

photographer_naoko

 魂で仕事をしている、とは凄いですね。
 どちらかというと、私は肉体労働者です。
 視覚と聴覚を酷使するお仕事です。

2007年06月13日 12時20分06秒

Shigeru Kan-no

昨日は批判的に書きました。時々一定の方向に行きそうなとき、お互いの向上のために「待てよ?」という感じでアンチテーゼを出してみます。でも日本で一昨日亡くなった作曲家は独学でしたね。日本ではそういう形態で作曲している人がまだ残っているようです。日本の音大は高いし教育の内容もあるしいろいろ要因はあります。こちらでは独学はほんとに少ないですね。音大の学費が安いし大学に行きながらまたは行った後で音大に来る人が多いですね。音大だけは将来が仕事がなくて危険なので大学と一緒に併用した方が良いという考え方です。

「魂で仕事をする」という表現は気合いが入って良いのですが、必ずしもすべてが解決するのではなく、戦前の神風思想に似た部分があります。いくら魂が入っても何人も月までは飛べませんね。ロケットで行くしかないようにどこかで限界が来ます。

ごめんなさい今日も批判的に。でも手広く物事は考えた方がいいです。

2007年06月13日 17時35分02秒

とっち〜(Totti+81)

知らないうちにこのスレ伸びてますね。テーマを追えなくなってる。^^;; ma iikedo ne
順番にいこうかな。マルチになるかも。

Mr. Kan-no said:
>論文の捏造ですが、一旦ネットのHPページに発表して・・・

これ結構やってる研究者いると思いますが、実例で知ってるのは経済学のポール・クルーグマンだけです。チト勉強不足で。
で、ある程度は判定可能だと思うんですよ。でも、敷居を高くする程度の効果しか無いように思います。
理系の論文の場合、再現性(確認実験、追試)を取るのが事実上不可能なケースとか、あまりに金がかかりすぎる、あまりに手間だったりすることが増加してるので、論文での判定ができないケースが結局捏造判定困難問題として残ると思います。
人間の卵子を使う実験なんて、米国などでは追試不可能だったのが一例ですね(例のES細胞の実験のことですけど)。
生体を使う実験を伴う研究は結構捏造されやすいように耳にします。個体差の問題がどこかで出てくることが大きな原因の一つのようです。

マ・ノントロッポさん
僕は、女性には隠された論理があると思っています。通常、(男性には)わからないレベル。
男は、わりと言葉の解読可能な範囲での論理性に依拠します。だからある意味読みやすい。
でも女性の論理性はどこま深いところにあるので、時々ポコポコ浮上してきた言葉で論理性を追って言っても解読不可能ですね。
独断的に言うけど、自然科学の言葉なんて、意味を一意的にするために大変な努力が積み重ねられています。歴史的にも。そうして自然科学の特定の分野という平面上あるいは空間内で、互いに言葉が通じる環境が構築されている。
それが僕の解釈でありイメージです。

Igokah さんと Kan-no さんの論議の噛み合わなさは重要な論点を含むと思いますが、ちょっと時間がなくなってきたので次回にします。

photographer_naoko said:
> どちらかというと、私は肉体労働者です。

文脈を誤解してたらごめんなさい。
理系でも分野や業種(おかれた場)によって仕事はいろいろで、肉体労働と言って良いレベルの作業が伴うことも多いはずですよ。

また、Kan-no さんを例にとって悪いけど、ブログややり取りから判断する限りでは、Kan-no さんの仕事も作曲以外では肉体労働に近い部分が結構あるように思いました。指揮者って練習も含めて肉体労働的だし、Kan-no さんの仕事の中では移動時間と距離のウェイトががかなり大きいように思います。アウトバーンを片道10時間飛ばして、短時間何かを観るなり仕事するなりして、またとんぼ返りとか。

Shigeru Kan-no said:
> 学で著名になった一番若い人はM・カーゲル止まりではないでしょうか?

これ、ある意味ショックですね。
実は、少なくとも数学では、何十年も前から、どんなに才能があっても独学では研究ができないといわれているのです。

ではホントに時間がなくなったのでまたこの次ということで。(^^)/~

2007年06月14日 00時11分02秒

Ayoan Igokah

 コメント頂き有難うございます。Kan-noさんの仰ることはご尤もだと思ってはおります。
 私は社会に於ける現象を、時間的に縦軸と横軸で捉えています。例えば1960年代の学生運動。これは横軸で見ると世界的な潮流の中における若者の反政府的政治運動、あるいは既存文化・価値観への抵抗運動だったと思います。私などはノンポリと言われる部類に属していましたが、若者が権力に反抗・抵抗するのを見て、心ではどちらかと言うと支持していました。
 次に縦軸で見ると、つまり現在から1960年代、70年代を振り返って見ると、これは世界的な流れでした。交通と通信の発達している現代では一国だけが世界の潮流から独立していることが不可能であることが分かります。鎖国しているか、独裁国家でないかぎり。
 現在の私の60年代の日本に於ける学生運動の解釈は、政治的なものではなく心理学的なものです。単純に若者は、成長の過程にあるとき、既存のものを、押しのけ、破壊しようとする傾向がある。若葉は出てきてから古い葉を押しのけ様と、少しでも日当たりの良い場所に進出しようとします。ユズリハなどは例外的に古い葉が新しい葉にその場所を譲るのでしょうか、そんな名前がありますが。これは利己的遺伝子の理論に通ずる、種の保存の法則に合致した行為です。古いものを押しのけても自己を優位に立たせようとするところが、種というものの持っている業なのだと言えます。そして、年齢を重ねると保守的になる、これも種の保存から考えれば当然です。
 そして、文化・芸術にも世界的な潮流・流行があります。20世紀初頭、ダダイズムや超現実主義の影響を受けて変わった芸術も、いつの間にか過去に戻っています。抽象表現も一つの表現にすぎないことが分かったからです。革命が必然であり、社会が共産主義国家にならねばならない、と言う宿命論的な独善的な理論は、精神的に不安定な若者を虜にします。しかし、マルクスの考えも、哲学の一つに過ぎなかったことが分かっています。同様に、芸術は一定方向に進化しなければならないと言う使命はありません。自然に、必然的に変わってゆくのだと思います。理論が先行してはならないのではないか、感情がすべてに優先すべきではないか、と考えるのはそのためです。協和音に喜びを感じるのも理解できますし、協和音に陳腐さのみを感じるのも理解できます。音楽以前の音を楽しむのも一つの鑑賞法です。昨日思ったのですが、この違いは、料理を楽しむのか、素材を楽しむのか、に少し似ています。絵画で言えば、デッサン力や構成や配色を楽しむか、色そのものを楽しむか。色そのものに力や特別な意味を見出したりすることも自由だと思います。
 私が「魂で」言ったのは、それほど大それた意味ではありません。単に、自分の感性に素直に従い、他者の価値観を参考にすることはあっても、基準にせず、自分が好きになれるものを正直に好きだ、と言える生き方を目指している、と言う意味です。他者が見て「こんな幼稚な作品」「こんな駄作」と言うことがあっても、自分にとって大切な作品であれば、それを自分にとっての宝として守りたい、と言うことです。一つの逃げ口上かもしれません。(決して肉弾三勇士や竹やり部隊のような、精神論ではありません。それは私が最も忌み嫌うところです。)
 私はKan-noさんのように真剣な生き方をしている方を尊敬しております。妥協を許さないような生き方は素晴らしいと思います。

2007年06月14日 00時53分29秒

とっち〜(Totti+81)

ケータイから訂正とお詫びです。
前コメントでレスした最後のお二方、Ms と Mr.が抜けてました。失礼しました。m(__)m
あと、誤解を招く表現がいくつかあるのですが、土日に追加記述の形で訂正します。悪しからず。

2007年06月14日 01時37分46秒

Shigeru Kan-no

論文の事は捏造や著作権侵害を防ぐためにネットでGoogleなどで調べるとWikipediaのようにすぐ分かるのではないかと思います。今日って凄く便利な世の中ですよね。使わない手はないですね。

指揮は近くの物しかやってないです。肉体労働どころじゃなくて近頃運動不足で困ってます。都会に住まないと僕は運動ができない性格なのです。何か病気になりそうですね。

多分彼とは話題の食い違いはあると思いますが、即興的に思い付いたことだけを書いてますので真剣に考えない方がよいです。こちらは特にMr.とかは要りません。海外に出るとどこでも呼び捨てだから慣れきっていますね。

「魂」の話題は他のBBSで話題になって僕自身も誰に向かっていうのかかなり混乱しています。なぜならみんな仮名で写真もないので実感がつかめず同じ事も二重に言うこともあります。

僕はかなり批判的な文章が多いのですが、悪しからず!こうしないと話題が上手く続かないのですよ。そのためにだけやっています。

2007年06月14日 06時30分25秒

Ayoan Igokah

 Kan-noさんが、批判的に考えられるのは、自分自身に矜持がある証拠でよいことだと思います。権威や数の暴力に屈してしまう人間の方が多いのですから。また、差障りのないことばかり言っていても、少しも前進しませんので、これからも気が向きましたら、批判的文章を宜しくお願いします。
 Ayoan Igokah自身を簡単に自己紹介しておくと、今は既に50代の男です。北海道で生まれ、小学校の一年生で川崎市へ引っ越してきました。学校は越境していたので、小学校から大学まですべて都内です。大学の3年になるまでピアノがありませんでした。現在もピアノは弾きますが、名曲に触れて感動を新たにするためと、自作の音を確認するためです。
 DTMで曲を作曲しています。ピアノで作っていたのに比べると、格段に作曲の速度が速くなりました。五線譜に書く作業が嫌いで、線からはみ出し、後で読めないこともありましたので。いつか自分の曲がオーケストラで演奏するのが子供の頃から夢です。作品は、ピアノ協奏曲3曲、チェロ協奏曲、いくつかの組曲、ピアノのための曲、交響詩、バレエ音楽など。
 なぜ、作曲の専門家と自己紹介しているかと言うと、自分の作品は他者の評価に関係なく、良い作品だと言う自信があるからです。「根拠のない自信」と言う言葉がありますが、自分自身を感動させることが出来るので、書き続けられますし、それが自信の根拠なのだと思います。私の一つの判断基準ですが、自分の頭の中で自然に湧き上がってきて執拗に反復する音楽は名曲です。
 昨日も今日もピアノ協奏曲第二番のCD焼付け準備をしていました。音がどうしてもヤマハMU2000であるため、本物とは程遠い音ではありますが、それでも20年前の音源の質に比べれば雲泥の差です。一応聴くに耐える音です。

2007年06月17日 11時34分01秒

とっち〜(Totti+81)

平日書く時間がなくてタイミングが遅れてしまいます。(^^;

先日亡くなった江村哲二氏は理科系ですね。理系の方が独学には向いてるのかもしれません。というより、論理性なのでしょうね。江村氏の作品は聴いてないのですが、気になっていた、脳科学者の茂木健一郎氏との対談を昨夜買ってきて読んでいます。新書なので安いし、読みやすくて、一般のクラシックファンにもお勧めですね。

音楽を「考える」/ 茂木健一郎+江村哲二著 筑摩書房
http://www.chikumashobo.co.jp/product/978448068760...

茂木健一郎 クオリア日記
http://kenmogi.cocolog-nifty.com/qualia/
江村哲二の日々創造的認知過程・・・主はいなくなりましたが
http://tetsujiemura.blogzine.jp/

『魂』ってのは、オカルティックな部分、似非科学的な部分は切り落とすとして、残った部分が気になりますね。それが何なのか説明しにくいけど。『精神』と呼ぶべき部分がかなりあるように思っているのですが、多義的なのは間違いありませんね。
論理性だけでは、人がなぜ表現するのか説明しきれないことと関係あります。70年代初頭ぐらいに、現音の作曲家たちに「誰のために作曲するのか」との質問が投げかけられ、高橋悠治氏だけが「人類の後に来る知性のために作曲する」と答え、反響を呼んだことを思い出します。
この回答は当時十分な刺激があったのですが、今思うに何故表現するかの根源的な答にはなっていません。質問がそうではないので当たり前なのですが、当時は中間的な、両方に答えているような受け止め方をしました。
人を表現に突き動かすものは何か、と言えば近いかもしれません。なぜ表現せざるを得ないのか。魂で書くと言われたら、指し示す部分があいまいなこともあって、納得する部分があるのです。ある方向を漠然とではあるけれど規定していますし。
聴く立場でも同じです。なぜ聴くのか。何故、他人の表現の結果を享受しようとするのか。
それらは、楽しみのためよりは、生きるために近いと思っています。

2007年06月17日 14時28分48秒

Shigeru Kan-no

Ayoan Igokahさん、

それはそれは、僕も50に手が届く年齢になりました。こういう方は意外と多いですね。僕が得に興味があるのはAyoan Igokahさんは何を専門で働いているかということです。

五線紙に書かないのはちょっと残念ですね。何とかしてキュー・ベースのように五線にする方法をお勧めします。欲を言うとやっぱりAyoan Igokahさんの曲を聴きたいのではなく出楽譜を見たいのです。僕はネットの音は時間がかかりすぎるし人の音楽は楽譜しか見ません。百聞は一見にしかずですから。

『現音の作曲家たちに「誰のために作曲するのか」との質問が投げかけられ』は世界中でされますね。ここでも良くラジオのインタビューに流れますよ。「自分のために」の回答が圧倒的に多いですが、高橋氏の回答もわかるような気がします。

魂のはなしですが、僕は聖書の分類法に従って、「霊」と「魂」を分けて考えています。この違いはいつかどこかに書きましょう。

2007年06月17日 17時31分22秒

Ayoan Igokah

Kan-no様 
 ご回答有難うございます。私が専門になにをやっているのかと言うご質問に対する答えですが、芸術分野における活動、と言うことになります。大学は東洋史専攻です。卒業後、就職浪人をし、劇団『木馬座』に入社しの制作部で6年弱働きました。給料遅配で生活ができなくなり、その後海運ブローカーとして5年、その後は何か語学の資格を取れる環境に身をおいていたいと考え、語学学校の職員としてずっと勤務しています。通訳ガイド試験資格も取りましたが、独立もせず、ついにここまで働くことになってしまいました。一貫してやってきたのは、作曲、詩を書くこと、戯曲を書くこと、小説を書くこと、デッサンやクロッキーを描くことなどです。ここ数年は、ほぼ作曲しかしていませんが。
 楽譜については、私はすべて楽譜にして保存しています。YAMAHA XG WORKS STを使っていますので、すべて完成後は印刷して保存しています。残念ながら今までは、このソフトの機能を十分に使いこなしておりませんでした。
 魂の話は、是非伺いたいと思います。私自身は限りなく仏教徒に近い考えをもっていると思っていますが。私の仏教の解釈は勝手な解釈だと、劇団時代の社長に言われたことがあります。彼は大学院で哲学を専攻し、卒業後は講談社で編集者として働いた人物ですが、私に言わせれば彼の理解こそ牽強付会に近いと思いました。彼は仏教を否定する根拠として『般若心経』の「無苦集滅道」を引用しました。それは敢えて矛盾したように見えるように書かれたものをそのまま読み込んで、矛盾していると言っているに過ぎないと思いました。彼は現在では老子の思想に傾倒していて、毎年「老子」を年始に筆写しています。いずれにせよ、私は原始仏教に興味があります。それこそ理屈ではない本当の信仰、悟り、解脱への希求が感じられるので。

2007年06月17日 18時38分34秒

Shigeru Kan-no

劇団関係ですか。日本は公的補助がないんでしょう。大変だとおもいます。こちらにはどんな小さな町にも劇場があり専属の役者がいます。オペラができないくらい小さな町でも演劇の劇場はありますね。さすがにそれ以下になると年に何回か大きな町の劇団を呼んで定期公演という形でやっています。僕もWienのブルク劇場からStuttgartの劇場まで演劇にも良く通いましたね。

語学もやっているようですが、何語ですか?ちょっと興味があります。

さて楽譜の話ですがそれを何とかして現代音楽の研究所に残すことをした方がいいです。例えばオランダのGaudeamsとか?一応寄付という形ですべての楽譜を受け入れてくれます。それをどうするかというと図書館のように公開するのです。演奏家や音楽学者がしょっちゅう見に来て演奏したり論文に書いたりしています。そういう研究所は欧米にはどこでもあります。

2007年06月17日 22時35分55秒

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