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『冬の旅』

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 二期会の友人が『冬の旅』をやるというので、都内のさるホールにのこのこと聞きにでかけた。
 
 生憎の小雪模様で、「さるホール」のサービスの低さのおかげで、ゲート入り口で寒さに堪えて待つこと30分、まさに「冬の旅」の気分を開門前から体験することになったではないか・・・?(ブツブツ-|-)

 それはともかく、ただの愛好家がドイツ・リートを普段どれほど聞くものであろうか?ウン十年前には、フィッシャー〜、プライ、アメリンクなどがその「芸術性」がゆえに取りざたされていた「古き良き時代」が、極東の地でもあったことは確か。

 しかし、この十年ドイツ本国でも歌われなくなってきている「ナツメロ」に、どういうわけか「極東の音楽家」が夢中になっているらしい・・・、といった「奇妙な」実情が明らかになってきてから、急速にリート・ブームは下火に向かうことになったのではなかろうか。

 私も、この5・6年でリート曲のCDを聞くのは、バーバラ・ボニーの『野ばら』くらいである。しかも、リート鑑賞が目的ではなく、彼女の声の素晴らしさに惹かれてである。

 それが、友人の『冬の旅』なんぞを「なぜ?」と自分でも自問しながら、Textを見ながら頭をひねるのである。「ウム!」独文の解釈がいささかメンドウなのは、オペラの台本と大差ない。こういうときは、英文訳詩と比較するほうがはるかに「てっとり早い」。
 
 さて、多少の「味付け」をしたつもりで、館内で配られた「公演案内」のカタログを見ると、24曲を「通しで歌う」とあった。「こりゃ、詩文の意味を味わう」どころではないと、つぶさに納得。

 そこで、小ホールの中段辺りで「半跏思惟像」を決めこむ(古き「日本男子」の胴長短足はこういう時にこそ役立つ^^)、と思ったが、曲の終わりごとに「友人の歌い方」から感じられる「気分」を、鳩山ご子息を真似て「ツイッター」することにした。

 「するとである」、友人の歌う『冬の旅』は、出だしこそ「暗く、恨めしく、去った女の純情の低さを嘆く」ムードが「結構支配的」であったが、4回の小休止の間で、
1.「俺は、女を忘れる旅にでる、いよいよ」
 「とはいったものの、宿屋でひとりかも寝んとすれば、少女の口元がちらつく、・鼻・ウッウッ)」
2.「何、あれは郵便馬車のやってくる景気ラッパではないか。そういえば彼女のメールを心待ちにしていたバラ色のときもあった。ア、ハッハッ!(強がり)」

3.「この雪に覆われた白髪あたまを笑うのは、カラス位なものか。しかし、良く見るとYahooの親父ワンワンに似ているやつだ。面白い!」

4.「なんということだ、もう朝ではないか。嵐の朝。昨夜彼女の家の番犬に吠えられて、惨めな思いを味わったのは、夢であったか!」

5.「そうだ、俺の太陽はすでに去り、光も消えさったのではあった。あとは、死ぬばかり、死ぬばかり。
(なにを言うか、若造!「死ぬのはまだ早い」)(警察庁の励ましの声)」

6.「ああ、あそこに人がいる。なんと彼女の元を去って、人に出会うのは、始めてだ。『老人よ、ライヤー弾きの老人よ!』・・・なにも応えないのが不思議なことだ。さては、冥途への案内人に違いない・・・」

 ここまで駄文にお付合い頂き(Thank You!)
 要は、友人の『冬の旅』は色々と「気分の変化」があるようだということ。中でも「小春日和」が、ドイツ・リートの歌い手の名手たちにもあるのか、妙に、「気になること」でした。

 ピアノ オペラ∩声楽曲


日付:2010年02月15日

15件のコメント

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このブログ(日記)へのコメント

Shigeru Kan-no

「冬の旅」全然やらないわけではないですが、もうフィッシャー・ディースカウとか名演を散々残したので凄く注意を要しますね。後はどう解釈すべきか、難題の一つですね。

2010年02月15日 17時44分56秒

Az猫ロメ

「名演を散々残したので・・・後はどう解釈すべきか、難題の一つですね。」
 (そうでしょう!)

 日本に音大があり、その中に声楽科が存続する限り、リートは彼らの「聖域」として残ることは間違いありません。声楽家が本来の「主役」として活躍できる場ですからね。
 しかし・・・、本国には「エベレスト」だの「ユングフラウ」だのの綺羅星が輝いているわけです・・・。
 日本では、アマチュアでありながら毎年『冬の旅』のリサイタルを開いている某「偉大なる」歌い手がいるそうです。
 友人の云うには、「音大なにほどのものか」と自嘲することもあるそうですが、某歌い手の『冬の旅』を聞きに行ったところ、「音大生も捨てたものではない」と、ささやかながらも自信を深めたとのこと。
 彼は、自分の声楽家人生の「集大成」としてCDを作成するとのことであった。これを買わずして”猿”は、『人に非ず、人に非ずや?ロドリーゴ。』。
 何といっても「芸術ですからね」、CDが届くのが楽しみですよ。

2010年02月16日 09時06分56秒

Shigeru Kan-no

今は日本は音大よりも、ドイツリートのサークルが活発ですね。

僕も昔三上カーリン先生のクラスに出入りしていましたが、僕自身はリート専門ではなく彼女はランにドイツ語の先生でした。あのゲーテのクラスは凄かったですね。100人ぐらいいました。今は同期の子安さんがやっているようです。

シュトットガルトに移ってからも梶木喜代子さんの本を手伝っていました。彼女の本は売れ行きが良いので第二弾を化しているようです。また無調の歌曲で借り出されるかも?

2010年02月16日 17時47分26秒

Az猫ロメ

そういえば、昨年立派な「リート鑑賞会」が立ち上がったようですね。
 リートをただの愛好家が愉しむのは、「しんどい」ですよ。W.レッグのご推薦版だというので、夫人のシュバルツコップの「名盤」を聴いたことがありましたが「音質がさっぱり」。
 リートを「味わうはるかカラフト沖の問題」。深みとか詩情とかは語るも愚か。Kan-noさんのお友達のトドさんのオペラ台本を理解しようとする方がまだ「楽しからずや?」。
『やっぱり、素人にはカラヤンじゃないと駄目か』と痛感しましたね。

2010年02月17日 13時18分01秒

Shigeru Kan-no

僕は「鑑賞会」のほうではなくてリート「実践会」のほうにかかわっていましたね。従がって全員音大の声楽科卒かピアノ科卒の連中ですね。部屋にピアノ一個あればすぐできちゃいますね。でも会員ではありません。無理やり関与されられたのでしょう。

素人はオケのほうが表現力がありますからそうなるのでしょう。みんなちょっとした音の変化では感動しませんからねえ。

2010年02月17日 18時26分35秒

Az猫ロメ

日曜日のNHKFM放送を聞き流していたら、なにやら
ソプラノ独唱にハープ伴奏のリートらしき曲が流れていました。
 曲後の作品紹介でドビュッシーとフォーレのフランス歌曲であることが分ったのですが、ソプラノはディアナ・ダムラウ、ハープはグザヴィエ・ド・メストレとのこと。(2008年2月のスイス・フランス語放送協会提供)

 ちなみに作品は、
「星の輝く夜」   ドビュッシー作曲
「麦の花」        〃
「月の光」        〃
「マンドリン」      〃
「美しい夕暮れ」     〃
「リラ」         〃
「夢のあとに作品7第1」  フォーレ作曲
「トスカーナのセレナード作品3第2」〃
「ゆりかご 作品123第1」    〃
「ふたりの愛 作品23第2」    〃
 
 『これがフランス歌曲か。ドイツリートとは異なり「音色の変化」が著しい。』
 昔、フランス歌曲はリストの影響が強いといった文章を読んだ記憶がありましたが、ようやく「納得」しました。ドイツ、フランスって隣国ですよね。こんなにも違うものですかね。

2010年02月22日 13時18分01秒

Shigeru Kan-no

全然違いますね。昔から軍事的・文化的に対立していますからねえ。フランス語は日本語のようにリートの命である言葉の子音発音が弱く同音異義語が多いのでドイツ歌曲のような大きな発展は見込めませんね。日本語と凄く似ています。

2010年02月22日 17時36分39秒

Az猫ロメ

仇が隣国ほど、恨み骨髄になんたらというやつですか。日本と韓国と少し似ているかも知れない。ソウルに旅行に行ったとき、「秀吉の朝鮮出兵」がいかに現地の恨みをかっているかを知って驚いたものです。

 それはともかく、ドイツ語の発音のことが話題になりましたので、ついでにお聞きしておきたいことがあります。
 R.シュトラウスのオペラ『バラの騎士』ですが、あれをカラヤンの「名盤」で聞くと、なんとも言えず「生ぬるい」生理的印象を受けるのですよ。
 吉田秀和さんなどは、R.シュトラウスの音楽は全く「ドイツ語の話法」にかなった「心地よい」音楽だとか評していますが、私には「全く理解不能」です。神童流の表現をすると、「あの音楽を聞いているとインポになりそう」と感じるのですよ!どうしたもんですかね。(タイガー・ウッズみたいに「○○依存症」のカウンセリングを受ける必要があるのだろうか)

2010年02月23日 10時12分40秒

Shigeru Kan-no

日本と韓国の対立に似ていますね。片方はゲルマン系、片方はラテン系で全然気質が違いますね。都会ってやはり隣の国なので言葉なんか全然違うようで驚くほど似ています。それを両者は嫌がるのでしょう。

 R.シュトラウスのオペラ『バラの騎士』ですが、あれをカラヤンの「名盤」で聞くと、なんとも言えず「生ぬるい」生理的印象を受けるのですよ。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
それってどの部分かわからないので答えようがないのですが、本当の言葉の問題ですか?曲でWienを表現しようとすると「生ぬるい」くなります。Wienに住めばわかるのですが、春なんか特に生ぬるい生活だからです。あそこに音をつけるとなると生ぬるくなるでしょう。Wienの訛りも表現方法を変えると生ぬるく感じるかも知れません。普通はNichtsですがあそこはNixですからねえ。春はここよりも惚けていて暖かいのですね。

2010年02月23日 17時52分40秒

Az猫ロメ

『ばらの騎士』のCDを購入したのは大分前のことです。クライバーの名盤『魔弾の射手』を聞き込んでいたころ、吉田秀和さんのお勧めのひとつというので、かなり期待して購入したという記憶があります。
 しかし、試聴結果はいまひとつ「何か生理的に合わない」。曲のどこという問題ではないのです。ストリーは別として、聞いた結果として、この曲が『フィガロ』と対比されることが全く理解できなかったし、今でもその印象は変わっていません。
 MuseにはKan-noさんがいるので、この際、専門家の意見をお聞きしたいものです。
 「どこか?」をより具体的にすべく、CDの「頭出し」でちょこちょこリプレイスしてみたところ、カラヤンの名盤(1956年録音)では、第1幕の第6曲、「すぐにきますわ・・・いやしからぬ身分の三人のみなし児で」の曲のあたりが適当と思われました。

 仰々しい表現ですが、「曲想」がなんとも言えず「つかみどころがなく、表面的美しさだけを追っている」という印象を受けるのです。この印象は『ばらの騎士』ばかりではなく、『影のない女』や『ダフネ』の音楽を聞いても同様のものを感じます。

 大作曲家とはいえ、その作品に「好き嫌い」が出てくるのは当然ですので、R.シュトラウスのオペラをCDなどで普段聴くことは殆どありません。
 しかし、好き嫌いは別として、R.シュトラウスの音楽的特徴がどこにあるかということを知りたいとは思っています。
 Kan-noさん、分りやすくご説明頂けないでしょうか。宜しく。

2010年02月24日 13時10分16秒

Shigeru Kan-no

昨日は久しぶりにバーンスタインのWPの「バラの騎士」聴きました。二十数年ぶりですね。第1幕は80-分かかっています。第6曲、「すぐにきますわ・・・いやしからぬ身分の三人のみなし児で」は曲に番号はないのですがあの乞食のところかな?曲はもの凄く複雑です。これを練習無しでで完璧にできるのはWPしかないですね。あのオケは「椿姫」とか歌手が病気になると代演でどかっと「バラの騎士」全く練習無しでいきなり出してくるので凄いです。この「楽劇」は切れ目がないので掴みにくいです。殺人などの強烈なクライマックスもありません。後はこの時代のシュトラウスの音楽はエピローグがもの凄く長いということですね。どうやって聴くかというとシューベルトの第九の様にぬるま湯に使った気分で聴きます。台本もたいしたこと無いですから、そんなに本気にしません。一回読んで頭に入れたらそれで良いですね。

とにかく全曲にわたって多様な音色、指導動機、ポリフォニー、色彩管弦楽法の極地です。歌も楽しめますが、最後の3重唱など明確なコントラストはありません。しかしそれを乗っける管弦楽が見事ですね。アルプスの描写もあります。アルプスを直接知らないとどうしてあのような和音で対位法なのかわかりません。ガルミッシュで書いていますからね。もしどうしても歌詞そのものを味わいたい人はウィーン訛りの学習は避けられません。J・シュトラウスと同じです。ウィーンの方言を知らないとちっとも楽しめないのです。

2010年02月24日 17時49分42秒

Az猫ロメ

「番号つき」曲を云々するときは、こういう時に便利ですね。残念ながら、どのシーンといったところまでは聞き込んでいませんので、この辺りの曲の流れ方が、R.シュトラウスの作品に感じる私の印象ということです。
 ところで、Kan-noさんのご指摘の音楽的特徴。
1.「この曲はものすごく複雑で・・WPしかない」
2.「この「楽劇」は切れ目がなく・・エピローグがもの凄く長い」
3.また、全曲にわたる「多様な音色」云々
4.「しかいしそれを乗っける管弦楽が見事」
5.「アルプスの描写」の和音と対位法の存在
6.「歌詞・・ウィーン訛りの学習」の必要性の問題

 いずれも具体的内容で、こうした点を理解するには、「音楽の専門的知識」を備えていなくてはならないということが良く分りました。
 カラヤンのCDの解説は、故黒田恭一氏が書いておられます。彼の解説では、「時代の黄昏の予感」が詩人・作曲家指揮者のそれぞれの立場から「静かに呼び交わしあう<ばらの騎士>を作り上げた、となっています。
 美文ではありますが、まず理解不能ですね。こうした解説はクラシック音楽の専門家向けのものというべきででしょう。

 さて、いつもながらKan-noさんにはお手間をとらせて頂きました。お礼を述べさせて頂きます。(多↓謝)

2010年02月25日 09時15分25秒

Shigeru Kan-no

いやいや、書くことが面白いですからどんどん質問してください。もちろんこの曲を全部暗譜しているわけではありませんが付き合いは長いです。Wienでも十数回通いましたね。その後シュトットガルト、ケルンと見て歩きました。スコアもピアノ譜も手に入れて弾いてみました。CDも集めました。カラヤンのフィルハーモニアはシュワルツコップフが歌っているから評価されるのですね。

しかし今バーンスタインのCD聴いて思いました。当時ルチア・ポップはゾフィー、ギネス・ジョーンズがオクタヴィアン、リートヴィッヒが伯爵夫人だったのですね。僕のWien時代はキリ・テ・カナワやギネス・ジョーンズが伯爵夫人、ポップはオクタヴィアンだったかな?そのあとジョーンズが抜けて、ポップがミュンヘンで伯爵夫人やりたいといったらクライバーに拒否されて彼のいないWienでそれやっていましたね。彼女は今はこの世にいなく時代の流れを感じます。

ソプラノ歌手って若い順から、ゾフィー→オクタヴィアン→伯爵夫人と移っていくのですね。最後の3重唱の伯爵夫人はもう相手役の全部を歌ってしまった人が多いです。

2010年02月25日 17時28分35秒

Az猫ロメ

『僕のWien時代はキリ・テ・カナワやギネス・ジョーンズが伯爵夫人、ポップはオクタヴィアンだったかな?そのあとジョーンズが抜けて、・・・彼女は今はこの世にいなく時代の流れを感じます。』

 名歌手の名前が連なっていますね。こうした人たちの「生の声」を聞いていたら『バラの騎士』を好きになっていたことでしょう。残念.-↓-.

2010年02月26日 11時58分05秒

Shigeru Kan-no

指揮者もいろいろとっかえて聴きましたね。記念のポスター持っているのはシュタインぐらいですが、当時のドイツ・オペラの名指揮者は全部出てきました。シルマーがどういうわけか最高でしたね。クライバーのときだけWienに行かなかったです。残念!ヤノヴィッツも伯爵夫人やったかな?とにかくあそこは全部出てきます。更に病気のためにWienにいつも待機している歌手はそれぞれの役柄で数人はいるようですね。

2010年02月27日 07時27分19秒

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