そろりさん
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このブログ(日記)へのコメント
2009年01月16日 07時24分44秒

●由紀さんのところのコメント・・・
ありがとうございます・・・
で、私、独身なのですよ・・・だから、ちょっと話の趣旨が違っていますね・・・
ではまた。
2009年01月16日 09時27分37秒

Shigeru Kan-no 様
ありがとうございます。インスピレーションでなくアイデアといわれるのは、より現代的でしょうね。
また、神との対話、というのもあまりに形而上学的で、超自然とおっしゃるのは、なるほどと、目を開かされました。ただ、ベートーベンには、他の作曲家とは異なるほどの、厳しい倫理性というか、求道精神のようなものを感じますので、私は、一面では、神との対話とベートーベンがいうのも、共感できるのですが。すなわち、超真実の向かう方向、そのベクトルの向きが、モラリスト的だという点でーーー
専門家の菅野様に失礼ですが、--- またどうぞご教示ください。
2009年01月16日 10時51分11秒

cello-murakami様
あ、そうですか。私はカンがにぶくて、失礼しました。でも、子供はいいです。親に充実感をあたえます。実子でも養子でも。
ご多幸をお祈りしつつ。
そろり
2009年01月16日 10時57分51秒

それって、これですよね・・・
http://ml.naxos.jp/album/BIS-CD-1218
無料体験をクリックすれば、冒頭の部分だけは聴けます・・・
●私は、断然に「べートーヴェン-ピアノトリオ 大公」ですかね
http://www.amazon.co.jp/gp/product/B00005HS7E/ref=...
●映画「不滅の恋」・・・ベートーベン物語
http://www.allcinema.net/prog/show_c.php?num_c=275...
映画紹介ページからリンクしました。
確か、この映画のなかでも、弦四かピアノトリオの一部が使われていたと記憶
していますね・・・
この映画、何度も何度も見ましたね・・・
当時、「WOWOW」でも放送された時にも、録画して何度も見て泣いていました
●私的に
それと、「形而上学的」このての文字、言葉、響き、とても好きな世界です。
今日は、楽器の練習しよっと・・・
締め切りまで、あと少しだもんね・・・がんば。
ではまた。
2009年01月16日 14時57分29秒

cello-murakami様
大公もすばらしいですね。聞きなおしてみます。
2009年01月16日 15時28分55秒

ちょっときつかったかな?
でもここをもっとわかりやすくするために何時もちょっとコメント入れたいと思います。
「霊感」とか「神の・・・」というと相当曖昧になりますね。それはなくはないのですが、作曲家も元々我々と同じ人間ですからねえ。もちろん彼らはテクニックはあります。欠点もあります。それが神に選ばれたのかどうかは別として、普通の私たちも努力すればそれなりに身には付きます。
2009年01月16日 18時12分51秒

「そろり」さんぇ
ベートーベンの弦楽四重奏曲のno.14
この辺りをお好みのようでしたら、
●ドボルザーク「糸杉」
http://homepage.mac.com/tupichan/JukeBox/Cypresses...
このての曲は如何ですか・・・
弦楽器、それも室内楽を実際にしている音楽家や愛好家は、ツー好みな曲
で知られていますが、「甘い香り」それこそ、作曲家のアイデアでしょうね・・・
この曲集の構図は、ストーリー的な物語を感じますね・・・
つまり、一つの発想やひらめき、「独創的なアイデア」を形而上学に適用すれば
音の空間表現ではないでしょうか。
それには、やはり、実際に楽器を専門的に習い、先生に師事するなり、作曲や
編曲を専門的に学ぶなり、する必要が出てきますよね・・・で、なければ言葉に
説得力が無く、薄くなりますからね・・・
このジャケットの「絵」は、ブーシェでしょうか・・・フラゴナールでしょうかね・・・
ちょっと、ここで、おさらいを一般的な年表では、
ベートベン1770年-1827年
古典派に属す
ブラームス1833年-1897年
ロマン派に属す
ドボルザーク1841年-1904年
国民学派に属す
たまたまでしょうが、年代が順番に並びますね・・・
ではまた。
2009年01月16日 19時36分28秒

『「独創的なアイデア」を形而上学』とは哲学的に難しいですねえ。
物事を哲学的に考えれば考えるほど複雑になり難しくなります。要するにがんじがらみになります。混乱の原因にもなりますね。そしてそれが極まると最初から何もしなかったと同じになるのですね。昨日東大の哲学の先生が書いた文章を記者に中で読みました。『「絶対という言葉は絶対にない」という論法は絶対に矛盾している』そうです。
2009年01月16日 19時26分28秒

きましたね・・・
その言葉などを「ふんだん」使われているので、私は、それを分かって、あえて、
その言葉(形而上 や 倫理)を借りた(適用した)わけですね・・・
つまり、私も、「kan-no」さんが言う通りの「派」のようで、まさに、そういう論法は
おかしいかな、話しが飛躍しすぎかな・・・と言う事を言いたかったのですね。
これで、「矛盾」ないでしょ・・・
●そろそろ、譜面読みして練習します・・・
●私のところのシリーズ「7」の方にもコメント記述してよん・・・
意地悪なのですから
ではまた。
2009年01月16日 19時47分47秒

日本の音楽鑑賞を趣味にしている人の多くは音友とかレコ芸の読みすぎが多すぎるらしくてあそこに書かれている表現が多すぎるのですね。あれってみんな普通の大学卒の素人が書いているのですよ。普通はああいう昔の非科学的なことは教えないですね。
2009年01月17日 00時03分57秒

さすがは、見極めていますね・・・私も同感です。「ガッテンダ・ガッテンダ」
またまた「NHK」のぱっくり、ぱっくりです。
●究極・・・
音楽も音響も、「音」とは、「物理」です・・・物理は、「数学」です。
それ以外の音楽論法は、歴史とでも言いましょうかね・・・
長年、「音」に携わって、実感している事ですね・・・
まぁ、長いブランクは、ありますけどもね・・・
ではまた。
2009年01月17日 00時19分26秒

菅野様、村上様
皆様のような音楽のプロ、すなわち生産者ないし音楽の建築家のご見解は大変貴重です。それは論理と技術と有効な技法の問題ですね。でも、私は単なる音楽の消費者でして、私の思想と感情の上への音楽のインパクトおが問題であります。すなわち、私の視点は文学的であって、また心霊的でもあります。この観点からいえば、どうしても音楽からの感銘や印象はおのずと主観的にならざるをえません。
すなわち、つらい人生を生きてゆく上で、たとえ
ば、ベートーベンから元気をもらうこともありますね。それを神的とかインスピレーションとか行って、ほめたたえるのは、聴衆としてはむりからぬことではないでしょうか。で、これからも、神のような、とか、ファンタジーのような、とか、時代遅れの言葉をつかうかもしれません、ブラームスやワグナーなどの19世紀人が語っていたように。それは、音楽と音楽家へのオマージュというか、ほめ言葉とお受け取りください。でも、明確に定義されえない言葉は、なるべく少なくしようとは思います。
では、ありがとうございます、いつも。
2009年01月17日 01時21分10秒

村上さんは最近プロになられたようです。新米なので優しくしてあげてください(笑)。
音楽を趣味にしている人は大切な消費者ですから優しくします。お客様は神様ですね。今度プロになられた方にはこれからもどんどんいいものを生産しないといけませんから今から厳しくやっていくことにしました。
過ちはどんどんしてください。もし矯正することに反感を感じない場合はどうぞやらせてください。意外と学べますよ。
2009年01月17日 01時27分20秒

2009年01月17日 18時18分33秒

村上様
ドボルザークは最近はあまりききませんでした。また聞きたいです。ありがとうございます。
2009年01月17日 18時20分25秒

作曲は何のためにするのか?は良く質問されますね。多くの人は「自分のため」といいますが、多分本当は金のためでもあるでしょう。まず食えないと死活問題ですからねえ。でも委嘱じゃなくとも書く人はいます。それは「衝動」によるものですね。自然にそうしたくなるわけです。所謂人間の思春期のようなものです。年になると現れてくるわけですね。
良く神の?「霊感」とかいわれますが、それは多分「書く(作り上げる)意思」でしょう。それを持つには確実なテクニックとアイディアが物を言うと思います。その二つが一緒になって書く意思が生まれるのでしょう。別にそこに天使が現れて書きなさいというわけではないですね。まあその意思を神がコントロールしているといっても良いですが、特にその作曲家が信心深いとかは別問題です。まあみんな普通の少しづつ罪を犯す人間でしょう。
2009年01月17日 18時40分59秒

何を言ってんですか、もう・・・
私は、埋もれた「アマのチェロ弾き」です・・・これでいいのよ モゥ!
埋もれた人生・・・楽しんでんだからさ・・・
けっこういけますよ、埋もれ人生・・・
「かかる・・・」こういった言葉の使い方、好きですね・・・論理構文論的な表現
まるで、特許の明細書や裁判書類・・・もうひとつの私の世界だ・・・
つまり、法律用語的な言い回し。
ではまた。
2009年01月17日 19時54分31秒

あれ、アマに戻ったのかな?
まあプロは辛いから余り勧めないけれどもね。
2009年01月17日 21時21分32秒

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1896年の晩秋のある日、上のAbell氏は、有名なバイオリニスト、ヨーゼフ・ヨアヒム氏の好意により、ブラームスの家へ連れて行ってもらった、という。というのも、ヨアヒム氏は、「天才とインスピレーション」について本を書くというAbell氏の計画に非常な興味を抱いたからであった。
そこで、ブラームスは、「ヨアヒム君、Abellさんに、例の、ベートーベンとシュパンツィッヒ(Schuppanzigh)の話をしてあげたら」といったそうである。この人(S.さん)については、ヨアヒム氏が3年間ウィーンでベーム氏という人のところでバイオリンを習っていたのだが、またそこで下宿もしていたのであった。そして、その下宿にグリュンベルグという年取ったバイオリニストが頻繁に出入りしていた。そしてこのG.さんは、ベートーベンのオーケストラで長年バイオリンを弾いていたのであった。そして、シュパンツィッヒさんは、そのオーケストラでコンサートマスターをしていたのである。
グリュンベルグさんの話によると、ベートーベンが作曲したある曲を最初に試演したとき、ある箇所が左手にとってとてもひどい、難しい書き方で書かれていたので、シュパンツィッヒさんが文句をいったところ、ベートーベンは次のように答えた、と言う。
「私がこの箇所を書いていたとき、私は全能の神からインスピレーションを受けていることを自覚していたのだ。主(Er)が私と語っているときに、その私が君たちのちっぽけなバイオリンのことなど考えることができるなどと、まさかそんなことを信じているわけではないだろうな-----」
私は、ずっと、べートーベンという人は神ではなく、神に対抗するものとしての自己というか、自我を強く表に出してそれを表現しようとしているのだ、と思っていました。でも、上の有名な逸話からみると、やはり19世紀人らしく、深くキリスト教に帰依していたのでしょうね。ブラームスなども、何かにつけて、神、神といいますし---彼らは、歴史的存在であり、我々21世紀人とは、かなり違った感受性と精神状態で、毎日の生活をしていたのではないでしょうか。彼らの音楽はよく理解できると思うのですが、作曲者本人の精神状態やものの感じ方はかなり今の人とは違っていたのでしょうね。
いまひとつ、私の妄想なのですが、上の逸話でベートーベンとシュバンツィッヒが語っていた音楽は、たぶん、ベートーベンの弦楽四重奏曲のno.14、ではないでしょうか。まったく根拠はないのですが、ベートーベン自身はこれを弦楽四重奏曲のうちでは一番好んでいたとも言われるし、また、粘っこくて辟易する第1楽章の終わりあたりから、後全部はまことにすばらしく、そういえば、神との対話とも感じられそうな箇所がいろいろありますね----で、独断と偏見ですが、そう一人で思っております。もしもこれが間違いだと知っておられる方がいらっしゃったら、ぜひ、教えてください。
(今日の箇所はアーベル氏の本の前半にあるもので、それで、私の一連のブログでは流れが変になっています。お許しください)。
室内楽 作曲家