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ワグナーとワイマール公国王妃マリア・パブロ―ブナ

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ワグナーとワイマール公国王妃マリア・パブロ―ブナ

今までご紹介してきた著書の作者、Arthur M. Abell 氏によれば、1850年にローエングリン初演が実現したことが、その直前まで、社会主義革命に飛び込んでそれが敗北した結果スイスへ逃げていたワグナーにとって、以後の作曲活動への復帰への大きな転換点となったといわれる。そして、その際、1つには、友人リストの非常な尽力があったのだが、それ以上に、ワイマール公国王妃のマリア・パブローブナ(Maria Pavlovna)のサポートが非常に大きかったこと、が指摘されている。
 ワイマール公国におけるローエングリンの初演はリストにより1850年におこなわれ、その後、1890年には、かのリヒアルト・シュトラウスの指揮でおこわなれたという。Abell 氏はワイマールで、後者を聞きに行ったのだが、近くの席に、ルドルフ・フォン・ミルデとその夫人(Rodolf von Midle und seine Frau)が座っており、彼らはかの初演のおりに、Telramund およびElsa として出演した芸術家夫妻であった。そして彼らから、Abell 氏は、興味ある初演をめぐる出来事を聞いたという。Milde氏によれば、「(マリア・パブローブナという)強力で音楽を愛する大公夫人の精神的な支援がなかったなら、革命の結果迫害され追跡されていたワグナーの、しかもまだ上演もされておらず、未知でもあった作品を上演させるというようなことは、リストは、決して敢行しえなかったでしょう。マリアは、ロシア皇帝パウル1世の娘で、あの大カタリーナは彼女のおばあさんでした。彼女にはまたドイツ人の血も入っています。
 「当時パリにいたワグナーから、ローエングリンの上演の依頼を受けたリストは、そのオペラのソロ歌手(候補)達を宮殿に招集し、その場で、リストは大公夫人の出御を仰いで、ローエングリンの音楽パートの試演を行ったのです。リストはワグナーの手紙を差し出した後、マリアに聞きました。
「さて、王妃様、どのように思われますか。貴方のご決定をお願い申し上げます。」
「一瞬の躊躇もなく、彼女は答えました。「我々はこのオペラをどんなことがあっても、上演します。私は、政治と芸術は厳格に分離されるべきだ、と思います。このローエングリンは偉大な天才の作品であります。これは多くの観点からみて驚くほど新しいものであり、この作曲者の政治的傾向などにはまったく考慮することなく上演されるべきです。その上演はさだめし音楽史を作ることになりましょう。私は確信しますが、ワイマールはいつの日か、その初演を行ったことを誇りとすることでしょう。あなた方は、すべて、私の道義的、精神的および財政的支援を当てにして結構です。」
 このような励ましと、以後の力いれもあって、ローエングリンは1850年8月28日を初演日としてマリア・パブローブナは定めたのであった。なぜなら、その日はワイマールの宰相でもあった、かのゲーテの誕生日であったからである。
 --------------------------
そして、マリアが亡くなったのは、1859年であった。

出所:Arthur M. Abell, Gespraeche mit beruehmten Komponisten, Artra, Germany, SS.27-31.

 室内楽 作曲家


日付:2009年01月28日

5件のコメント

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このブログ(日記)へのコメント

Shigeru Kan-no

ワーグナーがこの曲を始めて聞いたのはウイーンですね。彼はあそこにお墨を付けています。それでウイーンはこの曲が得意なのですね。

2009年01月28日 17時59分40秒

そろり

あ、そうですか。なるほど、ワイマールでの初演のときはまだ、ワグナーは政治犯を許されていなかったのですね。

ご教示ありがとうございます。

そろり

2009年01月28日 18時48分00秒

Shigeru Kan-no

初演は30人ぐらいのオケでやったようですね。3管だから、3x8は24.弦は残りの6人ぐらい?でも前奏曲の頭はヴァイオリンが8分割です。ここだけで8人必要!ヴィオラとチェロとコンバスはどうしたのでしょうか?

2009年01月28日 19時24分13秒

リストはこんなに熱心だったのに、娘が不倫の末の結婚
で、喧嘩しちゃいましたね。

高校の時演奏会で、第3幕への前奏曲を吹奏楽ですが指揮しました。

若い頃のバーンスタインの超早い演奏を真似てやってたら、指導の先生に思いっきり怒られ、ほんとうにゆっくりなテンポに変えられてしまいました。
吹奏楽では弦楽器みたい細かい連続音を早く吹くのは大変なんです。特にリード楽器は…
この時の思い出は、今もで鮮明に覚えています。(もちろん演奏も残っています…お聞きになられたい時はご一報下さい。下手ですが…)

この曲はたいてい盛り上がりの所でおしまいが切られますが、なぜかこの時のアレンジは、婚礼の合唱のフレーズまで繋がってました。
あんまりオペラとかに明るくなかった自分は、それで、結婚式の音楽がワーグナーのオペラのだと気がついたんです。
一番最初に指揮した時、びっくりでした(笑)

2009年01月28日 20時43分19秒

Shigeru Kan-no

上辺流雲さんの素性ちょっとわかりました。かなり経験があるようです。だからああいう曲が書けるのですね。その「実力」とはその「吹奏楽」権威のことですか?あそこに元々権威があったかどうかも疑問ですがまあいいでしょう。

「第3幕への前奏曲」はもちろんSehr・Lebhaftですから速いのが当たり前です。そもそも弦の書法を管楽器に編曲するのが無茶なのですね。あの曲は終わり方はいろいろあります。上に書いてある終わり方のほかに、フンパーディンクが書いたは白鳥の動機で終わるものもあります。この版は一番壮大でカッコいいです。第二幕の終始をそのまま持ってきたのですね。

2009年01月28日 21時04分47秒

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