
椰子の実さん
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このブログ(日記)へのコメント
『こんばんわ』と『こんにちわ』の中間辺です。
「安全ベルト不着用の取り締まりカメラ」の在処をぜひ教えて下さい。といっても、私はシートベルトが義務づけられる以前から、必ず装着していましたので、心配はしていませんが・・・
どうも<安全ベルト不着用の取り締まりカメラ>という発想に問題があるような気がします。スピード違反取り締まりのカメラは、スピードを出し過ぎているものを対象に証拠のための写真撮影ですから、やむを得ない感じがします(少し疑問を感じています)が、<安全ベルト不着用の取り締まりカメラ>はシートベルトをしていないという予測をして写真撮影している訳ではなく、一様に写真を撮影されている訳ですから、少し納得ができない〜変な気がします。肖像権等の問題もあるし、だいたい気分が良くないです。
すみません。音楽に関係のない書き込みをしました。
2010年09月26日 17時33分57秒

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<<第一の手紙>>
先日熱中症で危うい?友人から受け取った手紙にあったアネクドートである。「青信号で交差点を通り抜けたとき、交通カメラのフラッシュがパッと光った。車を慎重に運転し、制限速度以下で走っていたはずだが、カメラの具合が悪く、制限速度を超えていると制御系が誤動作して撮ったものだろうと思われた。しかし念のため、前方の一区画を回って、もう一度同じ交差点を通り過ぎた。すると先ほどより速度を緩めたにもかかわらず、またもカメラが光った。これはちょっとおかしいぞと思って、もう一度クルッと回って、先程よりさらに速度を落として交差点を通り抜けた。それでも交通カメラのフラッシュが光るのだ。もう一度試してみた。4度目だが、やっぱり光った。5度目にはカタツムリの速度で車を走らせたのに、交差点を通るとまたしてもカメラが光ったので、笑ってしまった。
1週間後に郵便で交通違反による罰金の通告を5通うけとった。運転中にシートベルトを着用していなかったからだった。」
さてSeeing is believingはどの国でも同じらしく<情報ほどいい加減なものはないが、自らの眼(五感)で見、確認したものは真実>なのであろう。だが百聞より確かだとしても目に映るものがそのまま本物でないことはこの世の中、いくらでもある。例えば手品がそうだが、いくら目を凝らして見ていても手品師に騙されてしまう。しっかり見ているつもりが虚像に目を奪われ、真実を見過ごしているのだ。思いこみのレンズで見ていた男は速度制限違反取り締まりカメラのフラッシュの誤動作を何度も何度も確認し、その故障の滑稽さを笑うが、事実は速度違反ではなく安全ベルト不着用の取り締まりカメラであり、カメラに笑われていたというのがオチ。世の中、見慣れた表の顔のその裏に想像すらしなかった事実が潜んでいることが往々にしてある。こう考えてくると表の顔を信じて構築してきた我々の経験とそれに基づく人生観は本当は危うい虚像かもしれない。
オペラ魔笛もそうだ。舞台に繰り広げられる劇を観客はしっかり見て、聴いて、楽しんでいるが、あのおとぎ話の裏にある真実を誰も見ていない。このことを語るには魔笛がどんな動機・背景で作られたかというところから話を始める必要がある。魔笛はフランス革命の2年後に当たる1791年初秋に完成され、9月30日に初演されており、モーツアルトはその年の12月に亡くなっているので彼の人生の最終盤での窮乏時代の作品と言っていい。(窮乏こそh創作の栄養!また中途絶筆の作品はあの有名なレクレエムで、亡くなる前日まで作曲を続け、第8曲目[涙の日]の8小節、"judicandus homoreus:”で筆を折り、指示に基づき弟子が完成させる)モーツアルトは魔笛を相当の精力をつぎ込んで作曲し、オペラ史上でも大いなる足跡となり、ベートーベン等歴史に名を連ねる作曲家たちやゲーテのような大文豪からも高く評価されている。さてこのオペラ魔笛は、その台本を見る限りは何度見ても稚拙なおとぎ話で、筋書きに多くの矛盾を素人目にも見て取れる。。。という点では駄作である。こんな駄作の台本に何故、モーツアルトは人生最終章の貴重な時間を費やし、心血を注いで、オペラ史に燦然と輝く大オペラに仕立て上げたのか、私にはその動機がどう考えても謎であった。<魔笛とは貧相な台本を極上の音楽が支えているという構図のオペラである>というのが最初の印象であった。台本つくりを担当し、実際、自分もパパゲーノ役で初演で出演したのは当時のウィーンの民間劇場(当時までは音楽は宮廷音楽であり、大衆を対象にしたものではなく、王侯貴族を観客としていた)を運営していたウィーンの興行主シカネーダーである。それまでの予約音楽会ビジネスを作品発表の場としていたモーツアルトがこの香具師?シカネーダーと意気投合し、取り組んで出来あがったのがこのオペラ魔笛である。では何が大作曲家モーツアルトと胡散臭い当たり舞台興行主を意気投合させ、この魔笛の創作に駆り立てたか。ビジネスパートナーの2人には共有する情熱があった。それは通常のオペラ作品創作にかける情熱やビジネスとは異なるタイプの情熱ではなかったか。その情熱の根源とは?そしてその裏舞台とは?というのがこの手紙を始めるに当たっての謎かけである。
テノール・カウンターテナー ピアノ 作曲家 オペラ∩声楽曲