はかせさんのブログ(日記)〜クラシック音楽の総合コミュニティサイト Muse〜

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不便、万歳!

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 子供の頃からピアノをやっていて、中学でチェロを弾くようになったとき、その不自由さに驚いた。ピアノは長大な音域を持ち、どこを弾くからといって特別なことはない。低音だから力が要るとか、高音だから特別な弾き方もない(多少あるか?)。せいぜい、黒鍵と白鍵の違いくらいだ。これほど便利な楽器はめったにない。電子ピアノ以外に便利さで負けることはないだろう。
 これに比べて、チェロは大変不自由だ。一本の弦、一つのポジションで弾ける音程は開放弦を入れないと長3度しかない。弦は一本づつ太さが違うし、鳴らし方も違う。音域は初心者のうちは2オクターブちょっと、3オクターブが常用できたら上級者だ。和音だって、ピアノに比べるととても不自由で、2重だって音程はあいまい、3重音だと同時には鳴らない。だいたい、弾くたびに調弦が必要ですぐに弾き出せない。何という不便さ!
 弾いているうちに、この不自由さ、不便さの持つ意味を感じるようになってきた。一音ずつ、その音に対するイメージを持ち、どんな弾き方でどんな音をだすかを準備するわけで、ピアノでポンと叩くのとは全然違う一生懸命さで弾くのだ。そうやって心を込めて弾いた音はその一音だけで、自分の心にマッチする。
 そして、一人だけでは音楽にならないから、他の人との合奏が必要になる。一人だけの時の不完全さと、4人集まったときの完全さの対比が目もくらむようだ。自分一人でバッハの4声のフーガをピアノで弾いたときと、弦楽四重奏で同じフーガを弾いたときの違いはすごいものだ。

 カメラは小学生の頃からずっと、単焦点レンズを使っていた。ズームレンズなど無かったから、不便だとも思わなかった。大学に入ってから仕事で使うのは60mmマクロレンズが主で、これで対応できない接写は、メディカルニッコールという特殊なレンズを使った。これはレンズごとにピントが合う距離が決まっていて、その距離までカメラを近づけなければならない不便なレンズだった。普通の写真も、35mm、50mm、100mmくらいを持っていて、集合写真は35mmに付け替え、ポートレートは100mmに交換していた。
 初めてズームレンズを知ったときは感激した。35mm-105mmのズームレンズを使えば、これ一本で交換無しで何でもOKだ。高価で買えなかったが、友人が貸してくれて使った。旅行に持って行き、荷物の少なさと、撮影時のイージーさに感動したものだ。
 下の息子が産まれたとき、第二子は写真が少なくなる。かわいそうだから、たくさん写真を撮るように新しいカメラを買う、と宣言して、軽量オートフォーカス一眼レフと軽量のズームレンズを買った(家計で買った最後のカメラ!)。これで4年ほど家族の写真を撮っていたのだが、ふと、自分の撮る写真が下手になっていることに気付いた。構図にとりとめがない、何も考えていない写真。色もなんか濁っているし、ピントもどこにあっているのかわからないし、直線状の建物も写真では曲がっている。

 そういう時期にロンドン大学で、コンタックスの一眼レフと、カールツァイス・Sプラナー60mm F2.8というレンズに出会い、その恐るべき性能を知った。週末も借りて家族の写真を撮ってみたのだが、自分のカメラと次元が違う。
 帰国して、必死で小遣いを貯めて(カミさんはこういうものは道楽であることを完全に見抜いたので、もう決して家計からは出ない)、コンタックスS2という全部マニュアルのボディと、プラナー50mmF1.4、プラナー85mmF1.4、ゾナー180mmF2.8、ディスタゴン28mmF2.8、Sプラナー60mmF2.8を何年もかけて徐々に揃えた。これを使うようになって、また、ちゃんとした写真が撮れるようになった。
 デジタル時代になってコンタックスが消滅し、これらのレンズがデジタルで使えないのを嘆いていたのだが、簡単なアダプタをかませばキャノンのEOSに装着できることを知った。フィルムと同じ大きさの撮像素子を持つEOS 5Dを買って、これらの名レンズをこれからも使い続けられるようになった。
 この時驚いたのは、レンズの持っていた潜在能力の高さだ。高画素数のデジタルカメラの解像力はフィルムの比ではない。また、ISO1600という高感度が充分に常用に耐えるので、ストロボ無しで、夜間撮影できる。このボディで使ってもレンズはまだまだ余裕があるのだ。これまで、このレンズは全能力を発揮することがなかったのだ。
 ストラディバリのヴァイオリンが誕生したとき、ヴァイオリン音楽はコレルリの段階だったし、規模の小さな合奏で弾かれた。その時代に作られたストラディバリは、現代の巨大ホールで、ロマン派のヴァイオリン協奏曲を近代オーケストラをバックに演奏するとき、その全能力を示す。ストラディバリは予言者的な能力で、未来の音楽のために楽器をつくっていたのだ。カールツァイスのレンズ群も同じように、未来のボディのために、この高性能なレンズを作っていたのだ。

 これらのレンズに未来があることが分かって大いに安心したのだが、一方、このボディは最新のテクノロジーを持っているのに体験しないのは惜しいと、最新のオートフォーカスのF2.8の標準ズームを一本買ってみた。ところが、これで撮った写真を家族に見せたら、「何これ?汚い写真!」と言われた。即刻オークションで売り飛ばした。EF50mmF1.4の単焦点はそんなことはなかったが、やはり機械任せだと何にピントが合うか、心許ない。マニュアルでピントを合わせた方が疲れない。
 出かけるとき、何本もレンズを持って行ったりしない。重くてかなわないし、レンズ交換しているうちにシャッターチャンスなど過ぎてしまう。家を出るときに状況を想像して、今日装着するレンズを決める。そのレンズで何でも撮ってしまう。よい構図を求めて動き回る。

 やっぱり自分はチェロのように、不自由で手間のかかるが好み通りに結果が出せる方を好むのだ。便利であることなど、趣味の世界では何の意味もない。

  車も同じだ。大きめで頑丈な車体に大馬力エンジンを付けた車で、すべての用途がまかなえるかというとそうではない。せまい住宅街を走ってスーパーマーケットに行くのには、それに適した車が必要だし、運転自体を楽しむ人間は、ライトウエイトスポーツがなければ生きていけない。工具も、何ミリのナットでも回せるモンキースパナは便利かもしれないが、角をナメてしまう危険があり、自然、使わなくなり、正確にフィットするメガネレンチを手に取るようになる。

 単機能で高性能な道具が好き、ということとチェロが好き、ということはたぶん、結びついている。

 チェロ ピアノ


日付:2007年10月04日


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