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S-3. 書評:ジャズピアノ教本ガイドブック。

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1936年から現在まで、河合明、河合考治

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2018-09-08
ジャズピアノ教本
本書は1936年以降、日本及びアメリカで出版されたジャズ・ピアノ教本(作・編曲、理論書も含む)について紹介しています。ジャズ教本創成期(?)の今では入手しにくい絶版書もなるべく紹介するようにつとめました。尚、掲載した本は著者が実際購入し、弾いてみた教本だけに限らせていただきました。それはアルバム評と同じように聴いていない音楽を批評することなどできないからです。従ってジャズ・ピアノ教本史(?)全体において、重要と思われる教本、教育者や学習者の間で評判の良い本でも、今回掲載できなかったものは数多くあると思われます。この場を借りて、お詫びしておかなければいけませんが、それらは以後の改定版で反映させたいと思います。
ジャズ・ピアノ教本の変遷:1936年から現在まで
作者: 河合孝治,河合明
出版社/メーカー: TPAF
発売日: 2018/08/19
メディア: Kindle版
とある。

2018年の出版と言うことになっているが実際には2019年に出された本も乗っている。所謂書評であるがその書評の書評をジャズの素人である私がやってみるという段取りである。

まず筆者が急いで書いたので多数の誤字や印刷ミスがあるとのこと。これは最後の方に見受けられた。文章も論文調の理論家タイプではなく俗世間的に付け足し的な書き方なので反って肩がこらないで親しみが持てるが、実際の著者は既に十数冊の本を出していて作曲やピアノも弾く事実上の民族音楽とジャズの音楽学者である。

さすがに素人の私にとって知らない人物や専門用語なども出て来るがそれでも何らかのコメントを入れてみたいと思う。

ジャズの教本の歴史となると1936年からと言うことでさすがに古い歴史を持っている。それでどれだけ即興の極致に入れるかは別として、今までに膨大な情報の山が積み上がっている事だけは確かである。

人名としてアンドレ・プレヴィンとか出て来るとさすがにクラシックと共有しているので指揮者で活躍していると同様にジャズに頭から親しみを持ってしまう。しかしジャズではないけれどもTVで自分はオスカー賞に4度輝いたが、その前に16回ノミネートされて落ちていると正直に人生論を語るのは人間臭さが凄くにじみ出ている。

もちろんチック・コレアとかもキース・ジャレットなどはちょっとは知っているがクラシック・ピアノに出てきたからのであって普段は自分は自主的にジャズを聴く習慣はない。毎朝かけっぱなしにしているFMラジオの繋ぎに良く流されるので自然に耳に入ってくる程度であってその曲名も作曲者名も全く覚えてはいない。ドイツの音大には必ずジャズ科があるがそこに顔を出したことは一回もなく、ただ10年ぐらい前にボンで木曜日の夕方に街の広場で良くジャズ・バンドを呼んでやっていて立ち止まって聴いたことはある。

現代音楽家からのジャズを見るとやはり普通は調性はあるし、旋律はあるし、リズムはあるし、コードはあるしでどうしても音楽としての保守的に見えてしまう。しかしその最大の保守性はポップスに共通な繰り返しである。これがなくなるとジャズは即刻死ぬらしい。

今日の少子化の影響もあって大半のジャズの音楽学校は潰れているらしいが、クラシックが一般大学の役割に対して、売れれば手っ取り早く儲かるポップス系の音楽はやはり私立の音楽学校の役割である。大手の尚美学園はまだ残っているが少子化と大学の乱立には苦心しているらしい。

ドナウエッシンゲン音楽祭の2日目の夜のジャズ・セッションなどの練習を見たりラジオをオン・エアなどを聴くともうジャズと現代の境界がなくなるような団体を毎年探して呼んでくる。結局は何をもってジャズなのかの定義は現代音楽と同じく非常に混乱しているらしい。

例えばブルーノートと言う和声的な技法がある。これはクラシックの対斜、から来ているのがまざまざとわかる。和声学の対斜は半音が隣り合って間接的にぶつかるだけであるが、徐々にブルックナーはこれをカノン風で対位法化したり13の和音を半音でぶつけて、フィボナッチの数列からなるバルトーク対斜はまさにブルー・ノ−トの様にほぼ同時に鳴り易い。

それと即興音楽の直接関係はないが、即興は簡単に言ってしまうと音楽の話言葉に似ている。我々は普段即興で話しているが、それをピアノなどで音楽で閊えることなくやってしまうのが即興であると自分は教えていて、それは十分な訓練を経れば可能なのだとも言える。

例えばバッハに代表するバロック時代の即興例。当時の教会音楽家は礼拝の前に実際に前奏曲とフーガやコラール前奏曲の様に今残されている楽譜そのものの様に即興をやってのけた。なぜなら毎週規制の譜面に書かれたトッカータとフーガをさらっていくのが面倒だからである。その伝統は今でもドイツのAクラス教会音楽家の演奏によって礼拝で聴くことができる。今時バッハ様式の前奏曲とフーガを完璧にしても決して受けないのかもしれないが、今でも彼らが実際にアレグロの4声フーガを規則通りにできることは自分がシュトットガルトの学生時代に即興のレッスンを毎週1時間受けてみてまざまざとその実態を体験した。従ってバッハなどの今残っている楽譜はその演奏がたまたま良くできたのでまた聴いてみようと楽譜に残したに過ぎないことがわかってきた。

そのほかには通奏低音や転調の即興演奏があり、作曲科の入学試験や卒業試験に良く課せられる。これらも実際個人レッスンを受けてみるとその懐の深さに驚いたものだった。

この観点から見るとジャズの即興は実はその巨大な即興世界の一分野に過ぎないことがわかり一様式に過ぎなくはない。ジャズらしさも必ず関係者に会うとフリードリッヒ・グルダの様に皮肉的に言われるが、実際にはジャズの境界もそんなに明確にはないことがわかってくる。

従って後書きの「1冊の教本を完全に仕上げる」や写譜に繋がる「コピーの重要性」、「固定した価値観などはない」と言う教義は全く正しいことが良くわかる。即興の上手い下手はあるにしても、音楽の様式上の境界がない以上ジャズの様式の境界もないのは当然のことと言える。

 作曲家 指揮者 ピアノ 現代音楽 オペラ∩声楽曲


日付:2019年07月11日

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