枯葉 あせるさんのブログ(日記)〜クラシック音楽の総合コミュニティサイト Muse〜

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舞台のうえの、魔物

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 人は様々なフィルターをもって物事を観察する...私が見た「魔物」の正体を突き詰めるとき、それは大きな手がかりになるような気がします。

 舞台と客席とを「隔てて」いるのは、高さや距離といった物理的なものだけではなくて...雰囲気が決定的に途切れる場所が...あるんです。

 すみません。理解しようのない表現ですが、お話を続けさせてください。

 舞台と客席は一続きなハズなのに、かなりの距離を感じさせる。意識的な距離と言えばいいのでしょうか。喩えが悪いのですが、ガラス窓一枚向こうに広がる世界を感じてしまったのです。

 勿論、それは「気のせい?」と思えるほどの一瞬のことではあるのですが...。

 窓ガラス...それは私が無意識のうちに覗いていたフィルター、そして、客席の誰もが掲げているであろう色とりどりのフィルター、その2つの反射鏡が合わさって出来上がった壁だったのではないだろうか? それともまったく別のなにか?

 ...あのときの、あの感覚。
その明確な答えを出せるには、まだまだ経験が足りません。もうしばらく時間をいただき、ひとつひとつ検証していこうと思います。


拙文、失礼します。

 ピアノ


日付:2006年08月23日

4件のコメント

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このブログ(日記)へのコメント

はじめまして、慈和と申します。
興味深い考察・表現を拝読し、思い出した事があります。
インスピレーションのような思い出話で恐縮ですが、コメントさせていただきます。

私が「舞台の上の魔物」に出会ったのは16歳の秋でした。
私が出会ったその魔物は、舞台袖に現れました。
舞台袖で出待ちの私の耳元で「お前はこの舞台で何をしたいんだ?何が出来るんだ?」と囁き、右手を私に差し出しました。
若かった私は、魔物が差し出したその手を、震える右手で強く握り、「何か」を念じました。目を閉じて強く念じました。
おそるおそる目を開けると、そこには魔物ではなく天使が立っておりました。
そして私の背中を軽く押し、舞台へと送り出してくれました。

遠かった客席が近寄ってきたような、そして、客席と ほんの一瞬溶け合えたような。
それまで感じたことのないスケールの大きな音楽空間を感じられたような。
若すぎて、フィルターが見えていなかったのかも知れません。
さて、今の私ならどうなのか?
私も検証してみたいと思います。

2006年09月03日 00時01分00秒

photographer_naoko

 ちょっと主旨が違うかもしれませんが、舞台の上では
演奏家は芸術の下僕、お客様こそが主役だと思います。
 観客は楽しみを求めて、演奏会にお金を払います。
 まずは音楽を楽しむことが、演奏家の責任だと思います。
 誰もが楽しむためにその場にいるのですから、お互い
を隔てているものは何もないと思います。
 

  

2006年09月07日 13時04分26秒

枯葉 あせる

慈和さん、はじめまして。

>お前はこの舞台で何をしたいんだ?

 これなんです! 私には自分の言葉がなかったんです。なかなかうまい表現とは言えませんが、どんな物事でも自分の言葉がなければ、何かを伝えることはままなりません。

 私の心にあった隙を、ちゃんと見抜いていたんですね。見抜いていたのは自分自身なのか、それとも客席の人なのか...問い掛けはやっぱり聴こえるものなのですね。

 体験談を聞かせてくださったこと、とても嬉しかったです。というのは、そこにある体験談こそが、私の音楽をより広めてくれる原動力であるからです。

 ところで、必要以上の緊張をなくすために...ステージでは、ある暗示をかけることにしています。それがあるだけでも若干、気持ちにゆとりができるような気がします。

「客席にいる人は、みんなキャベツなのだっ」

 効き目はかなり疑わしいのですが...。

2006年09月28日 01時05分57秒

枯葉 あせる

photographer_naokoさん、こんばんわ。

楽しむということの世界には境界線はない...私自身も同感です。「時間を共有する」という表現もありますし。

むしろ境界線は、ステージと客席ではなく、自分とステージとの間にあったのかもしれません。

境界線がどこに見えるにせよ、それを意識する(感じる)というのは、私自身に何かしら足りないものがあるからでは? と考えています。

いったい、何が足りないのか。ピアノの練習も然りですが、もっと根の深いところに、それがあるような気がします。

まだまだ時間がかかるかもしれませんが、答えを探し続けようと思います。

2006年09月28日 01時29分41秒

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